LINEスタンプ 宛メとは?
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烏羽 さんの小瓶箱
烏羽
少し頭のネジが外れていますが、私は元気です。
Vtuberはいいぞ…

名前は、解る人に解ればいいという気持ち等から。
伝える事をはなっから諦めてるという意味ではないのであしからず。
烏羽さんのお返事(532通)
烏羽
えー解説ですね、はい。

赤子の頃には誰しも自分が生きているなどと思いはしないと思います。当たり前故に、そして人としての知識のなさ故に、自分に命があるなんて事は。
しかし、大きくなるにつれ、何かに出会う事を繰り返し、様々な事を知り、例えば一人でない事を知り、又一人である事を知り、曖昧の中ではあっても自覚を伴って、明確にものことを、頭と心で作り上げていく。
個人的に知る、解る、学ぶ、などなどは、自分の中で概念のようなものを作り上げ、後に加えたり削ったりもしながら、起きた事象と結び付ける事だと考えています。

命は、自分の持っているものですが、それを自覚出来るのは他者が居た故であって、生きるというのは、大まかに言えば自分以外の世界と関わる事だと思います。

その上で、命を他から学ぶ。
もうこれは、なんていうか命と、それに付随した概念のようなものが、他と交わり、今後他と生きていくという事だと思います。
あるいは、漫画とかの主人公のセリフによくあったりしますが、故人になってしまっても「そこにいる」んですね。(自分の大切にしたい)過去の人達やものことが。

確かに命は自分の感覚ではあります。
けどまあ、なんかあるじゃないですか、命は自分のものであって自分のものでないみたいな言葉。
この言葉、すごく誤解されやすい言葉だとは思うんですが、これに近いかなって。

感覚的なもんなので明確にはし辛いのですが、こんなんで解るでしょうか。

ちょっと読解力がないので、申し訳ないのですが、良し悪し、悪しは向上心がないとかは解んなかったです。
レインボーブリッジ封鎖できませんの奴は、あれですね、ありのままの自分から湧き上がる気持ちというか、そういうものに対して、今まで出来上がってきた既存の自分が難色等を示した時、やっぱりもとの自分を完全には止められない時がある、みたいな。
あー、少し、行き過ぎた自分の思いを混ぜた解釈で考えてしまっていたかもしれませんが、出来るかどうかは別、という所の言葉に反応して、止められない時もあるという考えを含めて、俺もそこらへん気を付けよう思って書きました。
言葉が足りなかったというか、まだ上手く言語化出来てないんですね、これ。

それで、上手く止められない事に関しては俺、もともと綺麗に折り合いが着くというか、ちゃんと付けられる、止められるものではないと思っていて、心と考えのどちらを、その時々に優先するかというだけだと思いますかね。

倫理やら道義やら大事な守る事があるにしても、本質としてただ、そのどちらかが優先されたかというだけで、それにはいい悪いもなく。
そして、あれこれ後から思う事、(結果的には思う事があるでしょうけど)つまりそもそも選ぶ事にも良い悪いは存在出来ないというか。

同じく自分の中のありのままへ、そのまま良し悪しを付ける事は出来ないと勝手に思ってまして、その、もとの自分が自他共中での気持ちや概念の中、その上でどう動いたか、どう感じたかによって、その後に良し悪しを(ぜぇぜぇ…)、各々が考えられるというか。(ふぅ)
実際には、いい悪いじゃなく、困る事、過去困った事やらから嫌に思う事やら、楽しい事、楽しかった事やらから、良いと思う事やら、過去と未来を合わせ見て、そんな風に感じたものだらけかと思ってます。(※これも、単なる事象であって良い悪【以下略】)
くどいようですが、その後に良し悪しを付ける事自体にも、その行為自体には良し悪しを求められるものではないというか。
良い悪い、ということ自体にも、もともと良し悪しは無い、最初から付いてない、という考え方と言うか。
その考え自体にも(←黙らっしゃい)

こんな風に枠を外しまくると、いろんな事がいいのか悪いのか訳解らんようになるんですよね(笑)
ある意味、判る(判断、判別)ようになる為の先駆けにもなると、思うには思うんですが、落ち着くまでめんどい。
めんどかったので、そこを超えた(のでは?)と思われるその過程が、面白そうだと思ったんですかな。
…上手くスルーしてたら、引っ張り出してしまいごめんなさい(苦笑)

で、途轍もなく長くなりました上、まだ続くんですがね…。
ややお節介になってしまいますが、いわばそんな感じの各々が持つイメージであれ、考えの順序上、そこを解っている上で、良し悪しを判断する事にはなんも悪いと思いません。
冬さんは自分をある程度見れている上のジャッジだと思うんで、自分で言う分には阿保で良いんじゃないかと。向上に繋がる訳だし。
本当の意味で、自分に対しての嫌味にはならないと思いますし。

自分的には「遊びをせんと生まれけむ、戯れせんとや生まれけん。子供なんたら」(初めて知りました)
の言葉は、幼い頃からあったものは別になくなってる訳でもなんでもなく、寧ろ沢山素晴らしいものを元々持って生まれてきて、それを活かしたり外から何かしら貰って、付け足してみたりして(ありのままの部分はマイナスで削られる事もなくて、もしあるとすればマイナスをくっ付けてるだけ)生きているだけだから、子供に反響するように遊びたくなったんじゃないかと思いました。(芯に響く感じ?)

要約すると、なんか大人になるにつれ穢れていくとかなんとか言われたりもしますが、純粋な本質が穢れたというようには思えないんですよね。ただ見方が広がったり、付け加えたものが多くなって、見え辛くなっただけではないかと。
残念ながら、今となっては読み人の真意を知る事は出来ないので、どう思って読んでいたかは憶測でしか解りませんが。(それも又味わいがある)

そこから言うと(実は↑、前置きでもある)、本の内容は解らんのですが、当たり前が覆されているというより、案外人間という生物的な根本に、いろんな視点等の新たななにかを持って、振り返り立ち返りしてるだけなんじゃないかと思ったりします。
そして、その纏まりすら、何度も起こっているだけなんじゃないかとも。(倒置法的だけど、深い意味はなく、ただそれだけ)

余談ですが(さらに長くなる事をお詫び申し上げます苦笑)
本当に腑に落ちるというものは自分の、何かこう、芯の部分に関わっている(場合もある)気がしてまして、その芯を大切にしようという心意気で、各々のまこと(漢字多数のいろんな意)で向き合って、大きく、太く、ある時は細やかに、ある時は大らかに、丈夫に、真っ直ぐに、捻りまくって、堅牢に、柔軟に、研ぎ澄ませたり、形(ニュアンス)やら鋭さやら硬さやら柔らかさやらのため、あえて脆くしたり、そこから更に新しくしたり、あれこれなんかすると、まあ変な境地にたどり着くんじゃないですかなあ(棒読み)

いい意味で果てしなく個性的になるというか、同じく果てしなくふつう(普と不の2つの意味で。)になるというか。
まあ悪い意味で個性的になれば、それは自分のやってきた鍛えに何かしら問題がある、という可能性も。(見直すチャンスだわな)
…もし冬さんがするという事になったというなら、多分心配いらないと思いますが。

とはいえ、それが人生の1つの醍醐味ではないのかとも思いますかね。
もともと、いいものを意識しようがしまいが、目指そうが目指すまいが、今も気絶して意識がないとかでない限りほぼ全ての人がやってきて、進行形でやっている事だと思いますし。

…確か、前もどっかでこんな事を言っていたような気もしますが。
成長の定義についてはまだ、よく考える程材料が揃ってないと感じているので今はわからんの一言に付きますが、ある意味同じような事を言っていたのに気付けたのも成長出来たという事かもしれませんね。

…という今までの全てのくだりを考え書いた事も、これから誰かが読んで何か思うかもしれないであろう事も、それこそが、命が間にあるという事だと思うんです(しれっと言い放つ)
冬さんなりの気付きがあるといいですね。ぬはははは!(←間抜け笑い)
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
別に静かなのが嫌いでもいいんじゃね?
俺は静かな方が好きではあるけど、逆も普通にある事だと思う。(これには特に違和感を感じない)

そういえば、日本人には蝉やら虫やらカエルやらの音を声というか、言語脳の方で処理している人が多くいるらしいね。
だから、もしかすると一種の音を感情表現だと認識しちゃう故に生活音に過敏になっちゃう事もあるのかも。
(俺はパチ屋と工事現場は少しキツイけど、網戸に止まって鳴き出す蝉とかは特になんとも思わない派)

俺みたいに父親が家に居れば部屋でドスドス足を踏み鳴らすだの(低音とかってやたら響くんだよな)テレビやらパソコンの動画やらを大音量で聞きながら手を叩いたり、食器を箸で叩いたり、挙句酔おうが酔うまいが発せられる奇声や罵倒まで追加されたりすると、部屋の位置関係やドアの構造とかもあるけどイライラしちゃうし、楽しいからなんだなとか自分の世界に入ってるんだなと思いはするけれども、昼ならまだしも夜も通して、度々聞こえてくるとなると、もうどうにも耐え難くなってくるんだよね。どうも。(超愚痴)
静かにしてくれと言っても聞き入れてくれないみたいだし。イヤホンやらもしてくれないみたいだし。
流石に冗談だけど、こんな状況に長々いて耐えられる?(苦笑)

まあ、どこの国だろうが文化的なものはあっても、もともと環境やら事情やらも込みで色んな人がいるだろうし、俺としては不自由さを共有しようみたいなのは、そんな大きくは感じないけど、あまり宜しくない意味で保守的な人もいると思う。
わかってるだろうけど、国民がいてこその、全体としての国でもあるんだから、そういう人がいる、いたってだけだと思うんだわ。
風潮やらに反映されたとしても、やっぱそれが全てじゃない。あんま日本人って括りや国のせいにしてやんな。

別にどこの人だろうと、文化的なものに価値を感じる感じないの差異はあると思う。それが嫌いだから何人じゃないとかは、なに思おうがいいんだけど、個人の価値観としては違和感を感じてしまって。
…ただ、一緒に生活したりする上では特に、気遣いや思いやりのようなもの、最低限の礼節は、忘れちゃならないと思うがね。(奇声を聞き流しながら)
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
一人一人の塊。
その中でも、血の繋がりなど、何らかの繋がりがあり、いろいろ近い故に影響をお互いに受けやすい一纏め。
親がいないなどの場合を除いて(その場合もまた家族と言えるかは別かもしれないが、そういうグループに入る可能性があるだろう)良くも悪くも成長の足掛かりになるグループ。

感情やら抜きにして書き出せば個人的にはそんな感じかな。今の所。
いつも近い場所にいるとしても、ある程度の礼節は欠かしちゃいけない事を、一番初めにやわやわとでも感じる居場所になるんじゃないかなー。
礼節やら思いやりやらが頭に浮かんでくるかどうかは別として。

因みになんかの研究だったか、ネット情報だから真偽はよくわからんけど、仲良い夫婦でもいつもいつも同じ部屋だけで過ごすと、隣人に必ずと言っていいほど憤りを覚えるらしい。
テリトリー的な問題というか、プライバシー的な問題というか、そういうのがどうしても起きやすくなってしまうんかもしれん。
それ故、信頼感も損ねやすくなってしまうというか。

法での教育義務とかあるみたい(まだようわかってない)ではあっても、それでもまず、一人一人の個人の塊である事を忘れちゃならんと思う。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
んまあ、詳しくは解らんので多くの事に俺から触れる事は出来ませんが、とりあえず。

えっとねー、否定するようで申し訳ないのですが、こすってきた回数が多いから捻れが治りにくいというのは少し違うんじゃないかと思いまして。
誰だって、経てきた数は関わりなく、当たり前だと思ってやってきた事や、いつの間にか刷り込んでいた、刷り込まれていた事を変えるのはとても難しい事だと思います。

極端な話、獣に育てられ、野生の中で生きてきて、その子が社会の中に入って、文明を教わろうとするなら、どうやったって今まで持っているものに支障が出ますし、立ち直りだとかにも時間がかかります。
それに、誰だって心の中に純粋さというか、青さというか、若さとでも言えばいいのか、そういうものはなくせませんし、ある種失礼な言い方に感じるかもしれませんが、経てきたものに関係なく回復力はあるし、事の次第で増減する見込みもあり、もともと人それぞれ大小と違う面はあっても、そのもともと持つ場所から大して変わるものではないと思います。
治りにくいというのは、割となくはなく、あるとも言えない微妙なラインではないかと。

あと、正直言いますと、自分の内に真っ正面から向き合うような事が、必ずしも真っ直ぐかとは言えなくて。
別の向き合い方を持ってしてでも、向き合いたいという気持ちこそが真っ直ぐなものなのだと思いますよ。

意図的に向き合うという事を変えたとしても、必ず相見える事になるものかと思いますので、疲れてきたら、あくまで向き合う気持ちがある事前提ですが、目を敢えて背ける事も戦略的な撤退、心を休める事になる場合もあるのではないかと。
苦しすぎて動けないとなると、どうにも辛いですからね。苦しさの中で敢えて動き続けるのも大事な事ではあるかもしれませんが、向き合いたい気持ち前提ならば、離れるのもまた、俯瞰する上で大事な事だと思うんです。
ともかく、言われるまでもないと思いますが、それはご自由に。

辛い思い、苦しい思い、そういったものを感じるからこそ戸惑いを隠せないものだと思います。
それに対して咀嚼するなり、整理整頓して片付けてみるなり、中途半端にしてみるなり、動かずゆっくり休むなり。

捉えようによってはまあ、酷い言葉とも取れますが、別にまともな返しが欲しいわけでもないので、全く構いませんよ。
そもそもこちらこそまともな返事を書けているとは思えませんし。

もう山場を過ぎたか、その最中かは解りません。遅いかと思いますが、そのほか、苦しみが和らぐようにも、応援したいですね。

まことに勝手ながら、詳しい意味を知らんので語弊も誤解も招く事請け合いだろうと思えますし、その講座の先生がどのような意図でいったかも解りませんけれど、それでもいいんだ、と思っています。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
否定するようで申し訳ないが、どうしようもなるとも。
少なくとも、りゅたさんが文面からだけでも苦しんでる事は、伝わってくる。
これをりゅたさん自身が読んで、自分が苦しいんだって見つめる事ができる。
自分が何を求めているのか、もう一度見つめるきっかけにはなると思う。

気持ちを、時間がかかるとしても、ほんの少しずつでも整理する事ができる、1つのきっかけになるかもしれない。
その事が、今すぐには無理だとしても、頭の中がぐしゃぐしゃになってしまった時の、ほんの僅かな支えの1つになるかもしれないと思うから。

書き出す事に集中しているその時間だけでも、多少だとしても、この場が頭の中の包丁からの逃げ場になる事があると思うんだ。
事情はわからないけれど、辛くてどうしようもなくなった時は、出来るなら、逃げれる範囲逃げていいから。
自分を強く責めすぎないでね。責める自分を責めてしまった事に苦しさを感じたとしても、自分が自分を責めざるを得ないような、それだけ苦しんでる、悩んでるって事だと思うからさ。
出来る時にでいいから、労わって、ゆっくりお風呂にでも浸かったり、音楽でも聞いたりして、休ませてあげてね。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
ちゃうねん。
ものを愛す、ものから愛されるというのは、如何に大切にするか、してきたか、して行きたいかという事から来るものであって、手持ちからなくなる事、存在そのものが側にある事が愛ではないねん。
愛の1つとは思いすれども、大切にする事が捨てない事、手放さない事だとは思って欲しくないねん。
その事で、ものに愛想尽かされるというのは間違いやと思うねん。

むしろ、ほったらかしにしている方が危ないんとちゃうか?(自分の部屋の床に散らばる沢山のものの存在を感じながら)

ちょっとずつ、手の届く所からでいいから、年末に間に合うようにしようぜ。

ただ、あえて言おう、ここに宣言しよう!
俺は同類として、わかっていて、そう言いつつもやらない奴だと!!

すんません、ちょっとは俺も掃除します…。…気が向いた時に。(言い訳でなくて)

一年(三年?)以上使わなかったら、今までありがとうって思いを込めて捨てたりした方がいいかもよ。
なんか大ヒットしてたような片付け本に載ってた気がするけど。

大切なものをどこか見当たらない場所になくしたり、掃除機でいつの間にか吸い込まないためにも掃除しよう!
あ。いや、そんな汚くないか。…そうか。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
そっか。
そうかそうか。

どっかで冬さんが模索中のような言葉を言われていたかと思うんですがね。

悟りの意味。自分の内側の、自分の場所。
そういうのが、体感で解った、解ってきた、あるいは、もうそこにあるんじゃないかなあと、勝手ながら思いますかね。
もう判っている事、知っている事かもしれませんが、命は人と人との隙間という側面もある、と考えてますので。
そういった言葉の中に含まれるものと、通じるものがあるような気がして。

やっぱ面白もんだと感じました。
それに、まさに命と踊られているのだなあというか。
いやあ、実に面白い(ガリレオ雅治ボイス)

仰られるように時にはレインボーブリッジ封鎖出来ない事(とてもふざけた比喩)もあるんですが、俺も改めて気を付けよう、気を遣いたいと思いました。(読返事感想文)
…まあ実の所しつこく面白いと書いたのは、枠を外しすぎると、それはそれで今までの自分がいなくなって、いい意味も悪い意味も込みでありのままの自分でしかなくなると思っているんですが、冬さんはそこを超えてこられた人、何かいい場所へ着地できた人なんじゃねーかなーと。
それが趣が深い、快く楽しい、と思うわけですなはははは。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
飽きる、という言葉には主に2つの意味がありますね。
長く続いて嫌になる事と。十分に味わい、経験して、それ以上欲しくなくなる事と。

小瓶主さんは、どちらかというと嫌になって、面倒になった。そういう、解放されたいなのではないかと、勝手ながら心中お察しします。
現実の嫌な面から離れ、ほっと、一息ついて休める時を求めているのではないかと。

主さんがその世界を望む、望まないは自由です。
ただ、嫌な事を味わったのならその分、自分にとって良いと思える事、好きな事を十分味わって欲しいなあと思います。

…因みに、異世界転移系ですか?それとも転生系ですか?(笑)
それ系のファンタジーは大好物です。かと言ってこのまま転移したら即モンスターに食い殺されるか環境的なものやら飢えやら言葉通じないやらコミュニケーションでも死ぬと思いますが(爆)
あー、チートっぽい能力欲しい(死んだ魚のような目をしつつ)

そして何と言ってもドラゴン!ドラゴン!!ドラ(黙れ)

とまあ、多少暴走しましたが、特に何を気にする事もなく、雑踏もなく、穏やかに縁側で茶でも啜ってのんびり出来るのが、個人的に理想の1つですかね…。

なんというか、口煩いかもしれないとは思いつつも、失礼ながら生きている間はそういうご自身が向かいたいような理想で手を打ちませんか?
ファンタジーだとかSF系だとかどうなのかは構いませんが、終わってからのお楽しみにしてもいいんじゃないでしょうか。

現実に引き戻すようで悪いのですが、多分、望んだ世界に行くかとか、そもそもあるのかとか、やはり自分でどうこう出来るものではないでしょうし。
もし俺のようにファンタジックな傾向にあるなら、絵を描くなり文字に書き起こしてみるなり、自己満足ででも出来ますからね。
はじめは誰だって下手くそですが、なかなか楽しいと思っています。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
個人的に、今まで見た中での範囲ではありますが、もう、なんていうか否定的な意味ではなくてね。
むしろいい意味で、そろそろまりちゃんさんは自分の心に向き合う事自体を意識的にしなくても良くなってきたんではないかと感じています。
もちろん、自分の好きにすればいいし、得られるものは限りなく得られるいい事だけれども。

さてと。
あとは、強いてまりちゃんさん向けに、個人的に言えることがあるとすれば。
(※このお返事は他の人が読んでも参考以上にはならんので、他の人は悪いけど自分に当てはめて考えないでね。言われるまでもないかもしれないけど、嗅ぎ取れる意味合いによってはこじれる可能性もあるんで)

もうやってるかもしれないし、足を突っ込んでいるとでも言えるんじゃないかと思うけど、自分と自分、お互い手を取り合う事をするのもいいと思う。
それが直感とか頭とか、意識して考えるものじゃなく、どれが正しいでも悪いでも、強いでも弱いでも、高いでも低いでもなくて、そうでもある事。
その全ての中で、その全ての中に、自分が「いる」という事。

直感の良さも悪さも、頭での良さも悪さも、ね。
ややお節介に感じるでしょうが、言いたいのはあなたの中の否定的な部分についてではなく、選ぶのはいいとして、どちらもあるでしょう。という事。(2つが内側に存在している事と、2つの両方にその側面があるという二重の意味で)

ただ見つめる中で、そのどこにどんな自分がいたのかを知って、それらの自分と生きる事。
自分の感覚を正しく見つめる事になるんだと思うな。

簡単でしょ?
特別意識するものではなくて、今までやってきた事だから。
だから、難しくもあると言える。

課題とか、宿題じゃなく、いつも通りの事。
それでも、蔑ろには出来ない事。いや、本当に自分を大切にしたい、出来る、無自覚にでもやっている面があるというなら、蔑ろにはしたくないし、しておけない事。

あれこれ書いたけど、別段何が変わるという事でもなく。今までと何1つ変わりなく。
紛れもない、人柄の真っ直ぐな事だ。と思っているよ。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
辛かったね。

親御さんがどう思って主さんに対してそんな事を言ってしまったのかは詳しく解らないし、肩を持てる、持つわけでもないんだけれど…。
もしかすると、薄々自分のせいだという自覚があって、それを許せなくて、人に当たるような事をしてしまったのかもしれないね。

他人事ながら、担任の言葉は小瓶主さんの内情を察せられていたものだとは思えないけど、俺も自分の決めた事は他人のせいにしちゃいけないというか、他人が責任を負えるものではないと思う。
正しい言葉だとは思う。けれども、文面だけでも事情を知って、個人的に考えてみると、辛い中にいる主さんが受け取れる叱りの言葉ではなかったと思うし、主さんのせいにもならない、誰のせいにも出来ない事だったと思う。

少し傷付くかもしれないけど、原因は、ほんの少しくらいなら主さんにもあったと思う。
でも、あくまで主さんに「も」、だ。他の人にも原因がある。それが今、わかってきたんだよね。

たとえ周りがクズだらけでも、主さん自身が自身をクズだと思えるようになってしまっても、生きろだなんて言えないけど、個人の感情的には生きて欲しいです。
辛くて、苦しくて、どうしようもなくて、学校に行けなかったんです。たとえ現実から体を背ける事だったとしても、壊れそうなあなたが、その時のあなた自身を守るために必要だった事の筈です。

心の中でだけでも、浮かび上がる過去の出来事に負けないで下さい。
防御したままでいいですから、自分のペースで少しずつだけでも。

それと、一旦、自分を許せない気持ちは置いておきませんか?
すぐどうこう出来るものではないとは思いますが、全て憎く思えてしまうのも仕方のない出来事だったのだと。許せなくなってしまったのも、親御さんや過去あなたをイジメた人のようになりたくなかった。複雑なれど、自分を、誰かを守りたかったからだと、思う事は出来ませんか?
今も、周りを伺う行動に楽しく思えないのも、自分自身の存在そのものが、あなたの心やあなたを過去から守ろうと、怖い事や辛い事がありながらも、少なく思えようと楽しい事も確かにあったのだと、裏を返せばそう思っているように感じます。

文面をみた限り、俺は小瓶主さんの事を、優しい心の持ち主だと思います。
相手の悪さもあろうものを、自分を責めてまで、自身を押し留めて、削ってまで頑張ってこられたのですから。
並大抵の努力で出来る事ではないと思います。

とても辛い思いをなされてきたのですから、今、前に進めないと言うのも仕方のない事だと思います。

ただ、心はまだ、尽きてはいないとも思います。
戻れない強烈な過去に心の整理と決別が付かなくても、あの時欠片ながら、もしかすると主さんが感じていたかもしれない嫌だった思いや納得のいかない思いが、はっきりとわかるようになってきた。
どうにも苦しくて、それでもここで吐き出した。

そう捉えると、過去はまだ大きく感じるものかもしれませんが、本当の所あなたにしか出来ない進展も少なからずあったのではないでしょうか。

今もまだ苦しみの渦中にいるかと思いますので、無理はなさらないで欲しいのですが…
神経質ではなく、人の顔色を伺うような嘘も付かず、ご機嫌を取るような事もせず、それでも楽しく生きていきたい。生き難い思いを少しでもせずに、幸せになりたいんだと。
俺にあなたを止める事は止めたくとも残念ながら出来ませんが、その苦しみは、そういった裏返しから来ているものではないかと思っています。

時間をおいてからでも構いません。何度躓こうと構いません。
もし何か感じた事があるのだとしたら、ゆっくりとででも、自分の良いと思う方向に顔を向け、足を向け、歩き出せる事を願います。
押し付けるように悪いのですが、辛くも生きてきたのは、それだけの価値のある人だと、俺には思えます。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
このお返事を、小瓶主さんが読むにあたって。
まず読んでいる最中だけでも自分を責めないで欲しいということ、責める自分、責めようとしてしまった自分を責めてあげないで欲しいという事。
そして、この内容はあなたを、責めるか責めないかを感じる瀬戸際にある言葉を使ってしまっているかもしれない事、不快に感じさせてしまうかもしれないという事を、どうかお許しください。
自分の読解力や、理解のなさで、誤解を招いてしまうかもしれない事、そんなのわかってる、と思うかもしれない事、長文乱文故にエネルギーを多く使ってしまうかもしれない事も、予め断っておきたいと思います。
あくまで、個人的な価値観から出た言葉であるとも。長い独り言だと思ってくれれば嬉しいです。

繰り返しの中にある、その辛い気持ちは、俺も悩んだ事があったし、今もその中にいる途中だと思っています。
気持ちはほんの少しでもわかったつもりでいますが、言わせて頂きたい。

ダメじゃないよ、バカじゃないんだ。
確かにダメなものも、自分を責めたくなるものや時もあると思う。だけど。
どうしてって?

そんな簡単な事じゃなかったからだと、俺は思うんだよ。

何度でも言います。
自分の事がわからなくなるというのなら、尚の事ご自身を責めないであげて下さい。

人は常に変わっていくものだと思っています。
なんども繰り返して。なんども過ち(あやまち)と、成功を繰り返し、積み重ねていくものだと。
しかし、それらは決して同じ過ちでも同じ成功でもない。何故なら、あなたが様々なものを感じ、考え、生きているからです。あなた自身が、たとえ誰が気付けなくとも、変わり続けているからです。
その中で手にしたものは、いい事も悪い事も全て、ありえない、少なくとも手に入れ難いものだと思います。
感謝しろとかではなくてね。むしろ憎たらしいとか、どうして、という思いの方が大きいかもしれませんし。

人は生きている中で、傷付くこともあるし、その傷から自分を守ろうと、避けたり、避けようと強く否定したり、傷を癒そうと何かを求めたり。少なくとも、そういう経験があります。
それ自体には、いいも悪いもなく。しかし、その結果起こった事に、人がいいか悪いかの判断をいつの間にか下しているものだと思うんです。

判断を下す事自体にも、いいも悪いもありません。
その判断がどういう結果にしろ、その上から更に判断を下すのは自由ですし、その判断が行われる事を止めようと思っても、すぐに止める事は難しいでしょう。

あの時、その時、誰かに託したのは、意図せずとも、その時のあなたが選んだ選択ではありませんか?
あなたが悪いのではない。その人が悪いのでもない。

なにも知らない立場から、文面だけを見て、そこから強いて言える事があるなら、どちらも悪いとは言えないし、どちらも悪かった、悪い面があった、という言える話です。
しかし、悪い面を正そうとする努力は良いものだと思えれど、人間は善いと思えるもの、悪いと思えるものの両方を持っていますから、どちらか1つで生きていく事はとても難しいと思うんですよ。
善い事だけでも、悪い事だけでも、どちらかだけを見て生きるのは、とても辛い思いをする事だと思っているので、お勧めできないというか。
はっきり言えば、今その事を思うと悲しいし、悔しいし、納得が行かなかった。
それだけの話の筈じゃありませんか?

あなたは自分で自分を決める事が出来ています。
俺自身人の事は言えませんし、数を減らしていけても感情が行き過ぎて、自分を責める事はありますから、きっとどこかで理解できる気持ちもあると思っています。
けれど、他人に全てを委ねたというのは、自分自身に対する誤解ではありませんか?

委ねようという、それでいこうという選択をして、今まで頑張ったのはあなたではありませんか?

自分自身を認めるというのは、自分自身を知るという事だとも思います。
しかし、自分自身、俺だって自分の事などわかりません。わからない部分は沢山あります。
全てを認める道ははるかに険しい。けど、認める事を深めていく事は、足を一歩動かすだけでも出来る事だと思うんです。
あなたは自分を認めています。しかし、まだまだ自分を知りませんし、それは生きる中で常に変わる人として、永遠に叶う事がない事かもしれません。

けれど、常に変わると言っても、変わらない気質のようなものも、人にはあると感じています。
感じ方や考え方、判断などの、それに付随するものは、積み重なって来たもの、あるいはこれから積み重なるもので変わるでしょう。
それだけは、変わらない気質はどうか、たとえ言葉にする事も認識する事もできなくとも、見失わないように、見失ったとしても戻って来れるように。
まあ話は逸れますが、常にそばにあるのですから、きっと、必ず帰って来れるでしょう。背中のようなものかもしれませんが。

変わらない気質とともに歩くという事を、少しずつ、一歩ずつでも、自分のペースでいいですから、積み重ねていく事は大事な事の1つかと思っています。
変わらない気質だとしても、ともに出てくるもの、出し方や、出たと思った後の対応は必ず変わると思っていますから。

何か大切な事のために、繰り返しているのだと思う事も出来ると考えて、俺はここにいます。
大切な事は、必ず、大事な時に何度でも、やってくるものだと思います。

失敗は悔しかったり、悲しかったりしますが、それを積み重ねる事でも、失敗にもなれないような事をしてしまったとしても、己が見つめる何かがあるのだというのなら、先は遠く、その何かが見つからないのだとしても、着実に成功のような何かへ近付いているのだと考えています。

ここまで書いた事を、どう受け止め、どのようにするのか。
それはあなたが考えずとも起こりますが、考える事でも起こり、選択する事は出来る。
今までもこれからも、それをあなたは続けられる。
そう思いますよ。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
去る者は追えませんが、考えさせられますね。
切羽詰まってしまうと、どうしても何かを見落としがちだったりするので、湧き上がる気持ちで一杯になり、そこまで気が回らない事に苛立ちを覚えてしまいますよね。

現時点思いつく限り、いい意味では、縛りが多くなる事で自分の表現を見直す事になり、冷静に自分の感情と向き合う事になると思いますし、私自身、自分自身で気持ちに整理を付けられる事もあったかと。
読み返しながら書き連ね、その後少し落ち着いて整理を付けられるなら、ここは他者が読んでいて伝わりにくいんじゃないかという事が思い浮かぶ事もあり、それによって何かを感じた方が内容を理解しやすくなり、お返事を下さるかもしれません。
それは返信を求める小瓶の内容を考えるという事ではなく、自分の為、延いては自分の為になるかもしれない受け口を広げる意味になると思います。

小瓶主さんがどういう事を言っているのか解ったつもりで(それでも誤解はあるかもしれません。努力があろうとなかろうと失敗はあると思うので)
あえて揚げ足を取るような形になってしまう事を予めお詫びしたいのですが、自分の感情を全て丸めてそのままここに乗せる事というのは誰にも難しいと個人的に思います。
しかし、言葉に乗せる上で大切なものも、個人の領域に止まるばかりですが、気を付けた方がいい事もあると思います。

程度こそあれ、感情に寄り過ぎてしまうのも生きている上では仕方のない、自分のために大切な事だと思っています。
しかし、日常生活においてもそう言えますが「自分の感情」というものを優先し過ぎてしまえば、どうしても軋みは生まれてしまいませんか?

勿論、あなたが悪いだとか、自分の感情を優先し過ぎるのが悪いであるとかの話ではありません。
軋みを生みやすい事を思うと、自分と他者と、互いに関わる以上、最低限の気遣いは必要だと思っています。

「感情」でものことを言うのが発散に繋がるというのは確かに納得です。
ただ、感情的であるなら、生まれた軋みから更に傷付くこともままあると思います。少なくとも、それを経験した事はありますし、その最中にいた人を宛メでお見受けした事もあります。
それを少しでもなくすためにもあるのではないかと思うんです。
ですので他人を気遣えるということは、必ずしもイコールとは結び付くとは限りませんが、結果的に自分を守り、気遣い、労わることにも繋がっている面はあるのではないかと考えています。

人は千差万別で、考える事も感じる事も、宛メノの使い方も、その時々によって多種多様に変化しますので、変化が悪いという事ではなく、変化するというのであればそれを踏まえた上で対応した方がいいと考えれば、1つの対策としても、気遣いや思いやり、それを乗せられるであろうと考え付く言葉、と言ったものが必要なのではないかと。
確か、管理人さんがどこかで書かれていたような気もしますが、あくまで気を付けて欲しい事、管理する立場や一人の人として守って欲しいと思われる事を表記して、ルールとして必ず厳守しろというものではないという事だったと思いますよ。

感情のままに書き連ねたい事は少なからずあるでしょうし、読まれるという事に意識を割けない状況もあるでしょう。
ならば書いたなら書いたで、もしも自分の文を読み直している中で少し落ち着いたとするなら、書き切ったその後文頭や文尾にその小瓶を読む上で気を付けて欲しい、これは誤解して欲しくないと言った事を書いて置けば、小瓶主さん自身のためにもなる事が幾らかあると思いますし、小瓶主さんへの理解も深まり、少しでも頑張って欲しいという気持ちのあるお返事も増えるのではないでしょうか。
まあ、私は見ての通り文章が長過ぎる上、人の事を言える立場にありませんが、それを強く言っては誰も何1つものを言えないですからね。
出来る事出来ない事、気を付けていれば出来る事、それでも時には失敗する事、そんなの沢山ありますし。

厳守しない以上、最低限と思われる範囲で、その時々に出来る範囲で読むであろう周りと、読み返している自分とを気遣えればいいなあと思いますかね。

返信を待つか待たないか、というのはこれ以上長くなっても困ると思うので控えますが、読まれる事を意識する、しないにしろ、返信を意識しなかった時だからこそ貰えた時嬉しく思える面も個人的にあるので、そういったスタンスで宛メを利用しても良いのではないか?という事には、やや角の立った言葉遣いとなりますが、賛同します。

最後に、いい意味でも悪い意味でも、場所というものは各々が知らずと作り上げて行く一面のあるものなのではないかと考えています。
一人一人の何気ない、奥底から出た気遣いや思いやりの積み重ねに勝るものはないとも思います。
そういう場所を、日常も宛メも関係なく、人は求めるものではないでしょうか。

殺伐とした自然界に生き、時に喰らい合い、時に助け合う事もある動物と、自然から遠ざかり、文明を持ち、その中でも時に争い、時に助け合う事のある人間とでは、生き方が異なりますが、根底に流れているものは何1つ変わっていないと思います。
いい事も、悪い事も、です。自分自身が一人で小さく頼りなく見える時があっても、一人ででも立ち上がるために、意図せずとも常に気を配っているものだと思いますよ。
どうか自分自身をご自愛ください。

では、改めて考えさせて頂き、考えを出せる場を頂き、ありがとうございました。
・・・小瓶の中の手紙を読む

烏羽
お疲れ様です。
励ますでも何でもないのですが、私自身、周りに囲まれる環境の中で、心の発達が遅い傾向にある一人のように感じて生きてきました。
発達障害と呼ばれる類のものであるかはわかりません。ですが、そういう方は、程度の違いはあれど意外と多いと思います。軽度なものには気付きにくいというだけで。

抑うつ状態を経験したり、その後自己的な判断ではありますが、軽い躁鬱を経て非常に軽めの統合失調症に足を突っ込んだりもしましたので、欠片ならhatoseさんの気持ちがわかるかな、と思いますけれど、気負い過ぎないでくださいね。
言ってもそう易々と、湧き上がるものがどうこうなるものではないと解ってはいますが。

家族と距離を置くについて、勇気がいったのではないかと思います。
それこそ身を投げるようなものだと。

ご自身で判断し、選択なされた事。これからの事については何とも言えませんが、素晴らしい事だと思います。
正直に言いますと、羨ましいと思っています(笑)自分を尊重するという意味で。

おひさしぶりに拝見できてよかった。
話し相手にはなれないかもしれませんが、また好きな時にいらして下さい。
では、身体には気を付けて。
・・・小瓶の中の手紙を読む

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