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『認知行動療法の本やいろんな事を調べていたときに、「辛くなりやすい考え方」というのが関係している。というようなことが書いてありました。

人は、落ち込んだり自信を失くしたり否定されたりすると、考え方が悪いほうにしか向かなくなり、どんどん自分を責めたり周りが怖くなったりするそうです。』

ここでの「人」とは、「無垢な子供」を指すのかもしれません。
これは「〇〇をして、成功した」「〇〇をして、失敗した」のどちらもない状態をいいます。
成功体験のある人物は、いくら否定されても成功する未来が描けれるので否定して来た人物を意見の合わない人だと避けることが出来ます。

では、成功体験のないチャレンジしていない自分が悪いのか?

それは違います。

「無垢な子供」はなんでも試したいのです。
失敗してもチャレンジして成功確率を上げていき、いずれは必ず成功します。

私は両親や周りの雰囲気から、少しだけ脱することが出来ました。

それは植松努さんという方の言葉がキッカケでした。

「ダメだ。無理だ。と言う人はやった事がない人なんです。」

やった事がないというのは、大きな括りでは同じものでもアプローチの方法を変えれば「やった事がない」ことになります。

それを「同じことだ。無理だ」と言う人がいる。
やった事がある人は必ずアドバイスが出来ます。

『でもそれすらも、もしかしたら、強烈な思い込みではないだろうかと、言えなくもないのかなと、ふと思いました。

要するに、自分で頑張れない言い訳にしたり、勝手に「こうなのだから」と、決めつけて自分で勝手に道をふさいでいるだけなのか…。

本当に、私は現実が見えているのか?
勝手に辛くなりやすい考えに陥って苦しんでるだけなんだろうか?
思い込みで深みにはまっているだけなのか?』

行動に移すハードルをかなり高くさせられているように感じました。

小瓶主さんは想像の中で完結して、行動に移せないことがあるのではないでしょうか?

「考えて行動しろ。」
「行動する前に、よく考えろ。」

そんな言葉に縛られてはいないでしょうか?

「考えて」とは、経験したことのない未知のことを想像(創造)しろと言っているわけではありません。

自身で想像したことが現実と全く同じ結果になるのだとすれば、人智を超えた神とでも言いましょう。

「考えて」とは、過去に似た経験があればそれを組み合わせて準備や覚悟をもって取り組むということです。

過去に上手くいかなかったことから、今回は対策をしたり、経験がなければ予備実験をするなど。
失敗したとしてもカバーする方法を確認しておくなどです。

「考えて」とは成功確率を上げる行動を増やすことで、実際に行う物事を細かくシミュレーションするとは別と考えた方がいいかもしれません。

前から歩いてくる人の行動を察知して避けるのと似ていて、右か左か真っ直ぐか予想は出来ても、実際にどう動くかやってみないとわからない。
だから、相手の目線を確認する、速度を落とす、先に右に行く、立ち止まって譲るなど準備や対策をするのだと思います。

そこで「何故、左に避けなかった?!」と怒鳴る人がいたとします。

左に避けなかった自分がおかしいでしょうか?
その相手が必ず同じ方向に避ける人なら、次から合わせてあげれば良いですし、その道に左に避けるルールがあれば次からそうすれば良いだけです。

わからないことを「何の経験もなく理解し、行動に移せ」は神になれと言っているようですよね。

私の好きな3つの言葉があります。

「賢者は歴史に学び、愚者は体験で学ぶ」

「神はサイコロを振らない」

「失敗に価値がある。その条件で成功しない事がわかったのだから。」

最初から賢者の人はいません。
体験しないとわからないのです。

全てが同じ条件なら結果は同じになる。
ならば、少しでも条件が変われば必ず違う結果になる。

失敗とは、成功確率を上げる大変貴重なデータです。
失敗していないと成功していたことも少し条件が変わっただけで、成功しなくなります。

失敗したことがない人は、挑戦したことがない人とも言われます。
危ういですよね。

苦しんでおられるのでしたら、今まさに挑戦されているのだと私は思います。

皆、一律に成長するものではありません。
いつどう成長してもいいと思います。

私も大人になって、小学生が出来ているようなタメ口をきくが出来るようになり始めました。
その方が仲間になりやすいみたいです。

世界は何も変わらなくても、小瓶主さんが世界をどうみたいかが少し変化して、気持ちが楽になることを心から祈っています。
・・・小瓶を見る
クロ
あなたは素晴らしい方です。
自信を持っていいと思います。

長くなりますが、何故にあなたが素晴らしいか話させていただければと思います。

私の父は心の何処かでぶつかるのを避け、自分の理想とする父親を無理に演じているようでした。

「父親とは」にこだわっているよう。

父親本人の気持ちが分からず、こちらもどう接していいか分からなくなりました。

今でもその感覚にこだわっているようです。
なので、私からその必要はないよ、
あなた本人としてはどうなの?と話しをしています。

両親から受けた影響は大きいですが、他の人や家庭以外の環境で受けた影響もたくさんありますから。

親がしないと、こうしないと、親なんだからと他でどう影響受けているかより「親としてどう影響を与えているか」に私の親はこだわっています。


私が納得した話があります。

ある女性が息子が家庭環境のせいでグレてしまうのではないかと悩んでいました。
その話を相談者にアレコレ話して言われた言葉が印象深いです。

「ポストが赤いのは私のせいなんです。と言っているのと変わらないですよ。」

人の人生を親であっても人ひとりで全て決めれるわけじゃない。
決めようとするから依存して恨まれる。

それよりも「何故、そう感じるのか、思うのか」を1人の人と人として聞いてみる。
それでいいのではないでしょうか?

そんな話でした。

あなたはあなたの気持ちをグッと堪えて、お子さんを育てられて立派になられたと思います。
だから、これからは少し楽が出来るよと話されたのだと思います。

あので、立派に大人になられたお子さんに寂しい気持ちがあることを1人の人として話されてはいかがでしょうか?
きっと応えてくれると思いますよ。

あなたはお子さんを立派に育てられた素晴らしい方ですね。
・・・小瓶を見る
クロ
ご両親は忙しい方ですか?
子育ての相談が出来る人が近くにいない状態で、仕事に育児に奮闘されたのかなと勝手に想像しました。

私の両親がそうなので。
話しが出来る時間がなく、恨んだりもしました。

ショッピングモールなどで見かける、無表情の親に一生懸命に話しかける子を見ると思います。

どこかの時点で親に話しかけるのを諦めて、周りに求めざるを得なくなるのかなと。

両親共に忙しく、余裕のない状況だと問題が起こった時にしか相手にしてくれません。

そんな環境で育った子は「相手をしてくれる唯一の方法」として、ちょっとした問題を起こしたり訴えたりするようになるでしょう。

その行動が他人に向かう人はイタズラからイジメになったり、自分に向かう人は病気を訴えたり、リスカをしたり死にたいとなる。

それくらいしないと人は反応してくれない。
本当におかしな世の中ですよね。


愛された記憶がないと、愛し方がわからない。
どう人に接していいか、わからないですよね。
過剰に尽くしたり、相手に求めたり。

今は極端な世界かもしれません。
なので、小瓶主さんの悩みの大きい小さいではないと思います。
書き方に問題があるでもないと思います。

小瓶主さんの悩みが自分のことのようにイメージ出来なかったり、小瓶主さんと同じような悩みが読んだ人の中にもあって、自分も悩み中で安易に返事が出来ないのかもしれないです。

勝手に想像で書いて、申し訳ありません。
今までの小瓶が探せなくて申し訳ないですが、また小瓶が拾えることを願っています。
失礼します。
・・・小瓶を見る
クロ
『主人公の男の人は小説家志望だった時代、

当時交際していた彼女に、夢を追いかけるよりも堅実に働いてわたしと家庭を築いてくれと責められた。

そして、作家になれた時も、彼女からの祝福の言葉を聞けなかった。』

その女性は「どんな性格の男性か」が大切だったのかもしれません。

誠実で実直に打ち込み、物静かで人当たりが良い人柄に惚れたのかもしれません。

将来を考えた時に不安な職とされる小説家では食べていけないとなった。

人とお付き合いする時に全てを受け入れてから、お付き合いが始まるというのは難しいでしょう。

逆な立場で、女性の柔らかい表情と細かな気配りに心配してくれる優しさを愛し、一緒になりたいという小説家志望の男性がいたとします。

その男性が「今の仕事を辞めて支えてくれ。」と言うのは良いのでしょうか?

女性は小説家志望の男性のことは好きですが、今の仕事で成功したい気持ちが強い場合はどうでしょう?

お互いにどこに魅力を感じ、何を望んでいるかなので話し合って折り合いをつけるで良いのではないでしょうか?

人の意見をそのまま受け入れる必要はありません。
説得し、説得されて未来を描いていくのではないでしょうか。
その創作の二人は納得いかないまま一緒にいたのかもしれないですね。
・・・小瓶を見る
クロ
とても人の気持ちを大切される方の文章のように感じました。

常日頃から気になる事が多過ぎて、症状として体に出てきているように思います。

私は医者ではありませんが、言葉に出して助けを求めれない特に子供は腹痛など体の痛みとして出ると言われているようですね。

私も同じように幼い頃にそのような状況になり、同じようになだめられたり怒られたりしました。

その時に打開した策がないので、今思えばという話しか出来ません。
それでもよろしければ、続きを読んでみてください。

母は「母親」であろうと頑張っています。
なので、ある程度話を聞いて励ましてくれます。

現代の母は手本がいないことがあります。
ですので、わからない事をわからないまま一生懸命にこなすことを強いられます。

やがて「わからない事」に直面すること自体が嫌になっていきます。
また「わからない事」が起きたと。

子供からの鬱病かもしれないという訴えは
「母親として頑張っている自分」への批判と「わからない事」が起きたの2つが同時に起こった状態になるので、お母様としてはなかなか受け止められるものではないのかもしれません。

まず、お母様の仲間になることが重要かと思います。
「母親として頑張っている」ことを批判するつもりはないことを明確にして、具体的にこういうので悩んでいると話してみるなど。

「お母さんは〇〇出来なかった経験ある?」
「お母さんは△△の時とかどうしてた?」
など、お母さん本人が想像しやすい内容だと話しが進みやすいかもしれませんね。

具体的な内容を話すことで徐々に「わからない事」ではなくなっていきます。

「じゃあ、こうしてみる?」と提案があるかもしれません。

小瓶主さん自身を分析する作業も必要なので、大変な中で更に辛くなる可能性はありますが、伝えるという大切さを学ぶ機会になるかと思います。

伝わることで仲間になってくれる人は、思っているより多くいますよ。

小瓶主さんに幸多きことを祈っております。
・・・小瓶を見る
クロ
優しくなるよう育てられたのですね。

そして、その通り優しく育ったのですね?

優しさを求められて、いつしかその優しさが表面を被う硬い殻ように。

人はバランスで出来ています。

運の良い日、悪い日。

良い日が続けば、悪い日が必ず訪れる。

優しい時もあれば、そうでない時があってもいい。

本来ならば。

しかし、優しくない自分は許されない。

常に優しくあるように強いられる日々。

人はバランスで出来ています。

優しく出来ない気持ちが、優しくしただけ内に積み重なる。

逃げ道をなくしたその気持ちは、時に表面の殻を破る時がある。

その一場面だけを見て、本当の君は乱暴な人だと言われてしまう。

表に出せない内に秘めさせられた想いが、自分を内側から壊していく。

子供はお腹に宿ります。

あなたの所に来るべきお子様は、あなたを一番心配しているのではないでしょうか?

お腹に宿る子供は一番お母さんの気持ちがわかるので。

お母さん苦しいの?

私が産まれて大変じゃない?

そんな風に心配してくれているのかなと私は感じました。

どうしても話しが出来る人がいない時はカウンセラーさんを頼るのもいいかと思いますよ。

まず、ご自身を大切にされてください。
・・・小瓶を見る
クロ
私も「いいこと」をして見返りを求める偽善者だったのかもと思い、小瓶が気になりました。

私は文章にするとまとまりが悪いので、感じたことを挙げます。

・推しに近づきたい→推しの人間性に近づきたい
→自分を人として成長させたい→いいことをすることで成長出来るはず

これは見返りではなく目標に近づく行動ですね。
なので、推しが見ていなくても頑張れたわけです。

・いいことをする→推しに会える

これは推しに会える見返りのために世間一般的に「いいこと」とされる行動を無理にでもしている状態かもしれません。

小瓶主さんは前者です。

「会社を起業したいから勉強して、結果的にお金持ちになる」は無理に勉強してませんよね。
勉強は己を高めるための手段です。

「勉強するとお金がもらえる」はお金のために無理に勉強してるかもしれません。


人は自分の中にある考え以外の意見は出ません。

小瓶主さんの中に「見返りのために、いいことをする」という考えがなかったように

質問してきた人の中に「目標に近づくために考えられる努力をする」という考えがなかったのでしょう。

ですから、話しを聞いて自分の中にある考えを当てはめて「偽善者」としたのだと思います。

人は体験しないと理解出来ないものです。

家庭などで「〇〇の見返りのために△△する」生活な人が多い世の中なので、小瓶主さんの考えが理解出来ないのでしょう。

ご自身が感じておられることが正しいです。

自信を無くされるなんて勿体ないです。

目標と見返りは違います。

これからも己を高めていって下さい。

そこまで行動する力をくれる推しの方は、とても素晴らしい方なのですね。
・・・小瓶を見る
クロ
小瓶主さんの話を読み、私も同じ状況だったと思いましたので書かせてもらいます。

大変幼い頃から「責任をとる」ことを義務付けられていたのではと感じました。

本来は自分とはなんら関係のない相手の感情の起伏にすら及んでいたのかもしれません。


例え話ですが、

公園などで不機嫌そうな寂しく独りでいる、自分より幼い子供がいたとします。

1人でおもちゃで遊んでいたあなたは、その子を可哀想と思い、話しかけます。

ほとんど言葉もないままその子は乱暴になり泣き出します。


それに気づいた大人が

「あなたが泣かせた!」

「あなたがおもちゃを貸さなかったからいけない!」

と、決めつけて言ってくる。


全く自分ではどうしようもない状況で間違った責任の押し付けをされた経験はありませんか?


親との場合だったら、親がイライラして物事が上手くいかないのが原因なのに

「あなたがちゃんとしないから!」

「怒らせないで!」

と言ってくるなど。


ちゃんとしてもしなくても、爆発寸前の親には無関係です。

何かのキッカケで必ず怒り出しますから。


本人自身が1人では解決出来ない問題を抱えた人が周りに多くはなかったですか?

その問題解決出来ていない状況をあなたのせいにされる日々だったのかもと思いました。

そこで「言い訳するな!」と言われていたら、もう最悪です。

原因分析とその説明の練習が出来ないのですから、理不尽なこともずっと自分のせいになってしまいます。


今回のプロジェクトの失敗もあなたの指示が不十分だったとは限らないかもしれません。


その後輩さんの志気がもとから高くなく、あなたの指示を理解しようとするところまでいっていなかったということも考えられます。

理解しようとすれば、必ず質問しますから。


その志気の低下は社内の雰囲気にもあるでしょうし、その後輩さんの今までの経験にも影響されますので全てをカバーするのは難しいと思います。


私が好きな言葉に

「すべてはそうなるべくしてなった。」

があります。


同じ指示でも数ヶ月前の後輩さんなら気づいて気軽に質問してくれていたかもしれません。

ここ数ヶ月で社内がコロナ禍の影響などでコミュニケーションが取りづらくなったなどあるかもしれませんし。


自分も悪くない、相手も悪くない。

相手を責めても、自分を責めても解決しない。

原因は必ずその「間」や「前後」にある。

人の生い立ちや、職場環境、そこからくる人間関係、仕事の理解度

取引先の事情、担当個人の感情の変化、世の中全体の流れと様々


本当に何十年と同じ仕事をして得られる知識が必要なものも含まれているかもしれません。

ですので、その出来事に関係する事を分析して未来のご自分に託してはいかがでしょうか。

今の小瓶主さんでは想定出なかったことがたくさん要因としてあったのかもしれません。

その要因となるものが次は少しだけ減るはずです。

今回の経験があるのですから。


完璧を求めれば求めるほど、答えは一つになります。

100通りの中で1つだと成功確率は1%

10000通りあれば成功率は0.01%


ですので、失敗して当然くらいでよいのではないでしょうか。

どの範囲に収める、この程度でもここまで持っていけるなどの経験が自身の気持ちを軽くしてくれると思います。

その経験がないまま完璧を求められ続けたのですから辛いのは当然です。


完璧に近いものを出せば、またそれを求められます。

責任を人の分まで取れば、次も取ってくれるだろうと期待されます。


どこまでするか自分で決めていいのです。

何割の出来にしておくか。

どこまでの責任なら取れるか。


小瓶主さんは、今回も今回のベストを尽くされたと私は勝手に想像します。


急に人の出来る事は消えてなくなりません。

次も必ず出来ます。

もし同じようなことで失敗したと感じても、必ず新しい要因が関係しています。

また新しい気づきがあったと成長の糧になると思います。


大丈夫です。

十分に頑張られている小瓶主さんなのですから。
・・・小瓶を見る
クロ
私がそういう人間だったので参考になれば。

「どうして?」「なんで?」が多い弟さんではありませんか?

「どうして存在しているの?」と聞かれて応えられる人はほとんどいません。
だから、答えに困って「変な子」にしてしまう。

少し目線が違って色々なアイディアが出てくる子なのに、表現方法が限られているので乱暴な行動に出るのではないでしょうか?

私はゲームに感情をぶつける以前は同年代の子を叩いていました。
「何故そんなことするのだろう?」ということをされて手が出てしまいました。
言葉を学ぶのが遅かったのか、言葉で表現出来なかったのです。
ですが、客観的に見れば私は加害者です。

日本では「どうしてそんなことしたの?!」と強く問いただされて、加害者側が全面的に悪いと和解もなく謝罪させられます。
物事が起こって、結果だけみて判断されます。
説明しようにも物事の発端の「言葉で表現出来ない」があるので悪い子、乱暴な子のレッテルを貼られます。

その時に本人は「暴力は叱られる」を学び、自由な世界を求めました。
それがゲームだったのです。
ゲーム以外だと思ったことと違うことが起き「なんで?」がまた出てきてしまいます。
ゲームは遊ぶための説明がありますし、プログラム通りに動いてくれるので理解さえしてしまえばいい世界です。

しかし、昨今ではランダムな要素が求めらるゲームが増えて、また「なんで?」が出てきてしまいます。

日頃の気持ちを抑えて、何度でもチャレンジして学べるゲームの世界でも「なんで?」が増えてくる。
弟さんは耐えられるはずがありません。

プロゲーマーになりたい気持ちを尊重するなら、そのゲームのプロから教えてもらって「なんで?」を減らしてあげる手もあります。

日常生活で、こういう表現で相手に気持ちを伝えるんだよと教えてあげるのもいいかもしれません。

幼い子は嫌いなものを「食べろ!」と言われてなかなか食べません。
一緒に美味しそうに食べたり、こんな食べ方もあるよと食べると自然と食べ出します。
手本になって一緒に楽しんであげるのはどうでしょうか?
・・・小瓶を見る
クロ
『そりゃもちろん、家事は母だけの仕事ではありません。母は午前中はパートとして働き、帰ってきて洗濯と夜ご飯の準備。忙しいこともよくわかっています。』

そうですね。自身に使う時間はあまりないかもしれませんね。

『「私には休みがない!」とよくぷりぷりしていますが、それは私たちだって一緒だって思ってしまうんです。学校や部活、アルバイト。父や私や妹も忙しさだけで言ったら同じくらいのレベルだと思っています。』

恐らく目的が何の為にしているかの違いだと思います。
生活の為、あなた達の為というような人に尽くすことを強いられている状況だから手が抜けないと思われているのかも知れません。
実際に手を抜いているように見える見えないは別として、ただ時間を拘束されてる以外に気持ちに余裕がないのでしょう。

『この間、冗談混じりで母が「ママ、子育て向いてない!」と言っていました。じゃあなぜ私たちを産んだの?と思ってしまいました。

毎日家事をしないといけないこと、それと両立してパートもしないといけないこと、自分の時間が奪われること、そんなの妊娠する前から、なんなら結婚する前からわかっていたはずなのになぜ?』

時代背景も説明する必要が出てくるので、例え話にします。

とても親しい友人に、遊びに誘われたとします。
その友人と一緒にいるのはとても楽しいため、いつも目的はそんなに決めずに場所と時間を決めて遊んでいました。

いつものように集まり目的を話し出します。
「新しく見つけたカフェに行きたい」
そんな話になり、その場所に行くと店主の都合により臨時の休みでした。

ガッカリしますが、しょうがないと別の目的を決めようとします。
そこで友人のケータイに電話がきます。
大事な用事らしく、出ることになりました。

そうすると次に雨が降ってきました。
雨宿りする場所を探すか、傘を買いに行くか慌てます。
電話が終わった友人と話して、一旦雨宿りすることになりました。

でも、止みそうにないので傘を買いに行ことなります。
しかし、そこでまた同じ用事の電話がかかってきます。
仕方なく友人を雨宿りの場所において、傘を買いに行くことにしました。
友人とも話せないし、雨に濡れながら歩く、目的もわからない。

主人公はお母様をイメージしています。
友人はお父様でしょうか。
この話で全て回避するなら天気予報を事前に確認し、目的を細かく決めて営業日以外に店主の状況も調べ、その日には絶対電話が入らないようにしておくという、なかなか完璧を求められる話かなと思います。
子供が出来て育てる以外でも、予想出来ないたくさんのことを抱えておられるかもしれません。

『私はまだ未成年だし、毎日忙しいとは言ってもたかが学生なので、母の気持ちなんてわかるわけがありません。だけどこのもやもやはずっとあって、ずっと謎です。

大人はなぜ子を産むんですか?
なぜ自ら大変な道を選び、ストレスが溜まったら子に吐き出すんですか?』

これはなかなか難しいですね。
人それぞれ意見があるので、あくまで私の考えとして書きます。

パートナーに強くあたる場面があります。
学生さんでも親友やとても親しい友人には期待をすると思います。
「こうして欲しい」「こうしてくれるはず」
求める時に強めに興奮したように言ったり、期待がはずれたら責めてしまったり。
裏を返せば信頼の証だったりします。
ただ、その人に対しての気持ち以外の不満や大変な想いが上積みされることがあります。
先ほども例を挙げたように、お母様1人では抱えきれない想いがあるのではないでしょうか?
なので、言葉そのままを受け取っていると小瓶主さんもお辛いですから、何か抱えてる想いがあるのだな。その想いはなんだろう?と少しだけ考えに参加してあげられると小瓶主さんもお母様も対立せず、楽かなと思います。

全く屁理屈なんかではありません。
お母様のことを考えたいと思われていると私は感じました。
・・・小瓶を見る
クロ
当然です。幸せになってください。
ご自身が努力された事は紛れもない事実ですから。

出来事は理解して、過去のことにする。
聞かれても説明出来ると後ろめたい気持ちにはなりません。

私はいじめられた側です。
だからこそ分かるのですが、家庭環境での違和感を感じておられないですか?

表現し辛い違和感かもしれません。
表現し辛いので行動に現れます。
その対処が当事者でない同級生などの場合はイジメという形になるでしょう。

私は地元で自営業を営んでいる家庭で育ちました。
その為に地域の家庭の事情がなんとなくわかりました。

やはり、いじめをする子供には家庭に問題があると感じます。
私をいじめの標的にしていた子は、両親はいますが仕事で家に居ず、祖父母の家に預けられていました。
その祖父母も、孫だからと可愛がるわけではなかったようです。

ショッピングモールなどで見かける、怒られても親が直接くるまでやめなかったり、怒られても何処か嬉しそうだったり、わざとコケている子のように問題を起こすしか構ってもらえる手段を知りません。

同年代の子にも似たように接します。
しかし、大人とは違うので受け流したり、拒絶反応を起こします。
その拒絶反応が親から切り離された孤独に結びつくのかもしれないと私は思います。
そこで、恐怖と寂しさなど普段の感情が怒りにも似た感情で執拗に責めるようになるのではないでしょうか。

人は感情を正しく整理出来ていないので、感情を表現出来れば手段は問いません。
感情を出せて、何かしら反応してくれる受け手がいればいいのです。

そして、自分がしている行動から
「これは怒りだ」などと認識します。

そして、何処か悪いことと分かりながら、その表現する場所が限られるので止めれません。
止めれず、毎回鈍痛のような罪悪感に苦しめられるのに耐えられず「相手が悪い」にしてしまいます。
相手が悪いと誤魔化しても、いじめた事実は消えず、自分を責めて嫌いになるでしょう。

人とはそういうものです。

イジメられる方に問題があるとかイジメを正当化する理由に使うためではないと断言して以下を続けます。
イジメの対象となる子も自身を守るための行動を学んでいると、そのイジメてくる子を助けられます。

「〇〇ちゃんのこと好きだったのに、そんな事されたら嫌いになるよ?」
とハッキリ言うのも一つかと思います。
嫌われることが1番怖いので、その後の話しを聞いてくれるかもしれません。

「優しい」は大人しいとは違います。
人のした過ちを許し、気づかせ、共に歩むことではないでしょうか。

現代の「優しい」は「大人しく、人に媚びろ」と言っているように感じます。

それでは、いじめの被害者も加害者もいなくならないと思います。
満たされない想いが人に向けばイジメになる。
満たされない想いが己に向けば自殺になる。
皆、同じ。
助けて欲しいを言えなくさせられている。

未来の子の為にご尽力される姿があることを祈っております。

長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
『必要なことで、誰かができないことは、誰かがやるんだ。
「できる」人の負担が大きくなることが辛い。

私は、きっと、頑張れば、
やろうとすれば、できるんだ。』

身体的特徴でどうしても無理ってもの意外は出来るはずですよね。
そんなことわかってると自分の心との葛藤。
きっと足止めする出来事があったのでしょう。

『でも、死にたくて、逃げたくて、楽でいたいが為に「できない」って言うんだ。』

楽でいたいというより、安心したい感覚かと思いました。
しなくてはいけないものから解放された安堵感。
何かをすることに関して、極度の恐怖と疲労が伴うのかなと。

『そうした時に、負担なくできる人がやってくれたなら、こちらの気持ちも楽だけれど。
同じように、苦しくて、辛いのに「できる」って言える(言ってしまう)人がやるとするなら、心、痛いなぁ……。』

そうですね。
快く引き受けてくれたり、その人にとって日常の当たり前のことなら負い目を感じることはないですよね。
特に生活に必要なことは自身の疲れや心の疲労に関係なく、今日の今しないとってものがありますからね。
毎日のようにそんな姿を見ていると苦しくなります。

『手伝えることがあるのかもしれない。助けになる方法があるのかもしれない。でもそれすら、ごめん。できない。ってなりそうで、ほんとサイテーなやつ。だなんて自分を責めてる暇があればその方法を考えればいいのにね。なにやってんだろわたし。』

これは私の勝手な妄想ですが、最初に手本がなかったり、理解度を確かめてもらうような過程がなく物事に取り組んで叱責を受けることが多かったのではないでしょうか?

『言い訳だ。死を逃げ道にしてる。
もはや、脅しだ。「それをするくらいなら死ぬけど、大丈夫?」って。そういうスタンスで。』

有さんは本当に自身と向き合っておられるのですね。
相手がそう捉えて一歩踏み込んでこないことを無意識で利用している人は多いです。
今は弱者に回った方が有利な時代に環境がしていますから。
それを自身の言動から気付かれるとは、本当に大変苦しい作業だったと想像します。

『これを全世界に発信して、世界中の人間から「じゃあ死ね」って言われるのが夢だ。
そしたら、なにも考えず死ねるかもしれない。』

希望を掴むと自分だけではなし得なかったものを手に入れられる。
希望に引きずられるとそこから動けない。
ならいっそのこと、その希望を断ち切ってくれ。
そんな想いでしょうか。

『でも、誰かに生きることを望まれている。わたしが死ねば悲しむ人がいる。
なにより、自分の中に自分を守ろうとする存在がいる。
だからその夢はきっと叶わない。
だから一生誰かに負担をかけるかもしれない。わたしを妬んだり、恨んだりする人間もきっといる。それはでも世界中の人間からではない。
生きてる以上は、どんな人間であれ、この世界に望まれていると信じたい。』

自分だけで突然誕生したわけではないですし。
生から死、その間の生活においても必ず誰かと関わりますよね。
あの人の中には怒っている私がいて、
あの人の中には落ち込んでいる私がいて、
あの人の中には笑っている私がいる。
色んな人が色んな一部の私を知ってる。
それら全てが私。
そんな感覚がします。

『だから
頑張りすぎてなにもできなくなってもさ、自分で自分が必要じゃなくなってもさ、
生きることを自分が望んでなくても、
そんなの全部どうでもよくても、
『生きてるなら、きっと生きなきゃいけない』んだろうな……なんて思ったり。
死ぬことも生の延長線上だし。』

ぼんやりと、今は想像でしかないものが形になっていくような感覚。
生きてるんだなって思えると、また死も鮮明になる。
そして、死を目の当たりにすると生も鮮明になる。
死に触れたいのは、今の澱んだ生を輝かせて欲しいから。
何故かそう感じ取りました。

『壊れてぼろぼろになって、休むことしかできなくなって、休むことすらできなくなって。それでも生きてるなら、どこかで誰かが自分を望んでて、その誰かは全力で私を助けてくれるかもしれなくて、
そんな想像したりしながら、わたし今日も生きてます。すみません。』

どんな誰かですかね?
一緒に考えたくなりました。
自分だったら、こんな世界の楽しみ方を教えてくれる人がいたらいいなって思ったりします。

『わたしの「できない」をやってくれている全ての者へ。ありがとう!!!』

私も便乗して。
ありがとう!!!
・・・小瓶を見る
クロ
私もおかしいと思っていました。
私も助け合えればと思います。

ですが、そうさせたくない動きもあります。

細かく説明すると長くなるので、根本的なところが言えればいいのですが。

維摩教の不二の法門にあります。
物事を二つに分けると対立する。

自国と他国
地元と他県
家族と地域
子供と親
自分と他者

一番最小単位の自分までいくと、
他者を拒絶する形になる。

今はどうでしょう?
コロナ禍で切り離され、一人一人になってはいないでしょうか?

それまでは時間を共有し、仲間でいたつもりでしたが離れると気に入らないところも見えてくる。

自分のために時間を使ってくれない。
自分のために考えてくれない。

寂しさや不安から要求し、敵対する。
その状況を救ってくれると期待している行政に不満が飛び火する。

皆が同じ状況であるのに違うと線を引く。

細分化して考えることは真実を捉えることに重要ですが、大きな括りでは皆が同じ状況。

コロナ禍はキッカケに過ぎず、対立する種は既に存在していました。
幼い頃から「優しい」を誤って教育されています。

暴力を振るってはいけない
→「どんな状況でも無抵抗でいなさい」

人の気持ちも考えて
→「質問せず、自分をひたすら抑えて媚びなさい」

外に表現する方法を奪われて、代替の方法である言葉での解決策までは教えれない。
自分の気持ちは抑えに抑えて、相手の行動から思考を読み解くような高度なことをさせられる。

説明して理解する、質問して理解するが欠けていることに気づかせてもらえない。
溜まった不満は正義感に変えられて、対象にぶつけられる。

優しさとは助け、気付かせ、共に歩むことかなと私は思います。

助けようと頑張って、相手を理解が出来ないままの行動で失敗したり。
気づいてもらおうと言葉をかけても他の誹謗中傷で傷ついている人には、また攻撃する言葉かと反発されたり。
共に歩むといっても、相手の気持ちがわからないために、なんとなく同じ時間を共有しているだけだったり。

特にその人を思っての言葉が誹謗中傷に聞こえる人が多いのかと思います。
私の勝手な偏見ですが、仕事で「お前のことを思って」と言われる言葉は会社や組織にとって都合良くその人を動かすための言葉であることが多いです。
実質的に命令なのですが、親身な雰囲気で言われると感じ方が変わってきます。

それを学んだ親世代が子を育てます。
「人には優しくしね」
「〇〇しちゃダメよ」
どう優しくするのかはわからないまま、トラブルを起こさない、親に迷惑をかけない子になることを望まれているのだと育ちます。

親も子のためと疑いません。
自分がやりたいことをどう表現したらいいのか分からず苦しんでいるとも気付きません。

そんな苦しみや不満を溜めたまま大人になるとどうなるでしょう?

自分は「優しい」はず。
何故なら、人に迷惑をかけていないのだから。
人に迷惑をかける人間は敵だ。
自由にしたい気持ちを抑えてるのに、どうしてあの人は勝手なんだろう?

そのような人が増えて、他者と自分を分ける人が多いのかもしれません。
気づいてもらうには並大抵の行動では難しいです。

もし行動されるのであれば、仲間を募ってみられてはいかがでしょうか?
周りにはいなくともインターネットや違う集まりに参加すると見方の違う人と繋がれますよ。

少なくとも私はあなたと同じ考えです。
考え過ぎだとは全く思いません。
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クロ
「生物は、利点があると思う行動をするものでは?
自分にとっての利点。その時最も良いと思うこと。」

興味深い出だしで引き込まれました。

「例えば、私が誰かに優しくした時。
それは私がそうしたいと思い、そうすることでプラスの感情が生まれる可能性があるから。」

こちらは自己満足で高揚感に包まれている状態でしょうか?
相手の反応も一切ない状態でも同じですか?
笑顔もありがとうの言葉もない状況で、自身にプラスの感情が生まれるということでしょうか?

「その優しさが誰かにとっては毒であり、結果マイナスになる可能性もあるけど、それの予測は難しいと考えるから、とりあえず優しさを振り撒いているだけにすぎない。」

自分が経験した優しさや、こうして欲しかったなと思う優しさでした行動も人が違えば受け取り方や状況が違いますからね。
本当にその人に必要な優しさを提供するのであれば会話をして判断材料を引き出して、こうかなって行動する必要がありますよね。
物に対してですとある程度の物性が分かっているので扱いを優しくしたりできます。
自然に優しい行動が人相手に出来る人は、かなりの経験を経て、その人の身なりや仕草、季節に環境などのすべてのことを把握している人ですよね。

「無茶苦茶なこと言うのも、とりあえずなにか吐き出したくて、そうすればスッキリするかなーってそれだけ。
今のこの文章がそう。」

頭の中に溜まっているのと、言葉にすることには雲泥の差がありますよね。
頭の中の単語を繋いでいる作業なので、無茶苦茶なことになったりしますし。
同じ単語でも繋げるもの同士で意味が変わってきますし、必要な作業だと思います。

「誹謗中傷言うのも、相手のこととか、後先考えず言いたいこと言ってるだけだよね?」

何か理解し難いことが生活の中であったのでしょうか?
そのお相手の心の内を理解されようと考えられているようですね。

「自分の心がそれで痛んだり汚れたりする感覚がないからさ、言えちゃうんだよね。たぶん。」
素晴らしいです。
自分の言葉で自分が傷つき、汚れるという感覚をお持ちということに驚きました。
なかなか自身と向き合っていないと考えつかないことです。
私にはそういった感覚が薄いです。

「難しいよなぁ……目に見えない殺し合いしてるみたい。なんて今思ったりして。」

その通りですね。
肉体的な暴力がないだけで、相当な苦しみを受けている人はいるでしょうね。

「こんなことを書いている間に、いったい何人が死んでいるのか……
何人の心が傷付いているのか……」

気持ちが動かなくなると体も動かなくなりますし。
見た目は変わっていなくても、動けなくなった状態を死んでいると表現出来るかもしれないと思いました。

「この瞬間。幸せを感じてる人間と、辛い思いをしている人間。どちらの方が多いのだろう?
考えてもそんなのわかりはしないし、わかったところでなにもできないけどね。」

そうですね。わからないです。
高層マンションに住んで景色を見ながら優雅に食事をしていても、この生活を強いられていると感じると幸せではないでしょうし。
自身が何を求めてるかですかね。

「あーあ、死にたい。」

面と向かってではなく、横に座って空でも見ながら話を聞きたいです。
たくさん考えられてるのですね。
そういう思いにもなりますよ。

小瓶ありがとうございました。
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クロ
小瓶を読んでの妄想です。
気分を害された時点で読み進めることを、お止めになることを推奨します。


お母様は寂しがり屋。
お父様は仕事に行くのが当たり前。
いきなり家の事を任され、会社と違って同僚も上司もいない。
姑にも助けを求めづらい。

唯一の同性の娘に仲間意識を持つ。
しかし、娘は社会に出ることを夢みる。

その時その時の手伝いはすごく感謝している。
でも、満たして欲しいのはそこではない。

満たして欲しいのは、寂しがりな気持ち。

ただただ気を許せる娘と一緒にいたい。

娘を苦しめたいわけじゃない。
だから、行きたい大学の応援もたくさんした。

お礼の気持ちはすごく嬉しい。
でも、言葉が欲しいわけじゃない。

孤独な私を救って欲しい。

私立に受かった娘は、どんどん自分の側から離れていく。
こんなに愛して応援したのに。
貴女は頑張って自信をつけているのは誰よりもわかってる。
でも、悔しい気持ちに似た感情が湧き上がり、娘に向ける言葉になった。

「私立も全部落ちて、鼻っぱしら折られときゃ良かったのかもね。」

そう。
大学に受からなければもっと一緒にいられたのに。

「そうなってたら自分の存在に疑問をもって自殺してるよ。」

娘は言った。

私は娘に酷い事を言ってしまった。
自分の弱さから出た言葉が愛する娘を傷つけてしまった。

頑張ってるのに。
愛しているのに。
私はあなた達を見ているのに。

私を見てくれている人は、、、。

小瓶から、そう感じとりました。
ですが真意は2人の間にしかありません。
話さないとわからないことをアレやコレや想像してしまい申し訳ありません。
・・・小瓶を見る
クロ
心を握り潰されるような、酷い苦しみを感じながら話を読ませていただきました。

私の過去に知り合った人に似たような境遇の人がいました。
その人はキツネが取り憑いているや、統合失調症と診断され精神障害者手帳を持っていました。
ですが、話しをすると受け応えがしっかりしていて人の気持ちがよく分かりますし、頭がいいイメージでした。
幻聴や幻覚も診断に入っていたようですが、見えないものが見えるや聞こえないものが聞こえるというより「過去の記憶」「自分はこう思われている」というフラッシュバックや強い周りから攻撃される意識が襲ってきていたように私にはみえました。

そんな時は1時間でも何時間でも、泣いてうずくまるその人の背中をただたださすっていました。
精神科で有名な病院もあるような場所でしたが、医者も叱責してきたり薬だけ出して終わりなど本当にいい加減です。
本当に良い医者を患者が探さないといけません。
親も自分達自身に目を向けたくないので、そんな医師に押し付けている印象でした。

私は考えます。
その人も長女でした。
弟は居ませんでしたが、三姉妹の長女です。
原因は親が思っている「役割」にあります。
話しを聞いていると親は、長女は初めての子で色々と四苦八苦しながら「育ててやった」と思っている様子。
だから、妹が出来た時は「私達と一緒の立場」だと。
「アレをしろ」「これをしろ」
「自分で考えろ」
「手間をかけさすな」
まるでブラック企業の先輩と後輩。
同じ立場なら「助けてくれて当たり前」と言わんばかり。
大変苦しいはずです。
心身が育つ時期に、大人でも忙しくて何をしていいかわからない状況で、一方的な命令をされるのですから。
そのような環境は大いに間違っています。

小瓶主さんも同じような環境だと思い、書かせてもらいました。
本当にこうやって小瓶を書かれているのが不思議なくらいお辛かったことでしょう。

この世の中全体がそのようになっていると感じます。
口答え出来ない人、生活を握られている人が無償で奉仕させられる人にされる。
そして、社会的にそんな扱いをされた人が家庭で子供にする。
社会で発散出来ない気持ちを、そこに上乗せして。

小瓶主さんの環境が変わり、大切な人と寄り添えますよう祈っております。
失礼しました。
・・・小瓶を見る
クロ
その受け応えは素晴らしいですね。
家庭での人として成長するために必要な教育がなされていますよね。

私は地元で自営業を営んでいる家庭で育ちました。
その為に地域の家庭の事情がなんとなくわかりました。

やはり、いじめをする子供には家庭に問題があると感じます。
私をいじめの標的にしていた子は、両親はいますが仕事で家に居ず、祖父母の家に預けられていました。
その祖父母も、孫だからと可愛がるわけではなかったようです。

ショッピングモールなどで見かける、怒られても親が直接くるまでやめなかったり、何処か嬉しそうだったり、わざとコケている子のように問題を起こすしか構ってもらえる手段を知りません。

同年代の子にも似たように接します。
しかし、大人とは違うので受け流したり、拒絶反応を起こします。
その拒絶反応が親から切り離された孤独に結びつくのかもしれないと私は思います。
そこで、恐怖と寂しさなど普段の感情が怒りにも似た感情で執拗に責めるようになるのではないでしょうか。

人は感情を正しく整理出来ていないので、感情を表現出来れば手段は問いません。
感情を出せて、何かしら反応してくれる受け手がいればいいのです。

そして、自分がしている行動から
「これは怒りだ」などと認識します。

そして、何処か悪いことと分かりながら、その表現する場所が限られるので止めれません。
止めれず、毎回鈍痛のような罪悪感に苦しめられるのに耐えられず「相手が悪い」にしてしまいます。
相手が悪いと誤魔化しても、いじめた事実は消えず、自分を責めて嫌いになるでしょう。

人とはそういうものです。
その話の方は、そう教えられる家庭で育ち幸運ですね。

しかし、そういった家庭の事情をもつ子供が増えているので自分の身を守ることは大切かと思います。
私も未だによく分かっていません。

「〇〇ちゃんのこと好きだったのに、そんな事されたら嫌いになるよ?」
とハッキリ言うのも一つかと思います。
嫌われることが1番怖いので、その後の話しを聞いてくれるかもしれません。

「優しい」は大人しいとは違います。
人のした過ちを許し、気づかせ、共に歩むことではないでしょうか。

現代の「優しい」は「大人しく、人に媚びろ」と言っているように感じます。

それでは、いじめの被害者も加害者もいなくならないと思います。
親世代がお金の為に、そうなっているのですから。

長文失礼しました。
・・・小瓶を見る
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