私もきっと、あなたと同じくらいの歳の頃、そう思っていました。
人に対して、目に見える不幸でないと、拾ってくれないのか。と思う原因。
それは、自分自身が辛い時に辛い!嫌な時に嫌だ!と認めずに
もう子供じゃないから、と我慢しているのではないでしょうか。
子供の頃も、大人を(両親)困らせてしまうから、困らせると自分がもっと辛い思いをしてしまうから、と我慢するように癖がついてしまったのではないでしょうか。
癖がついてしまったが故に、我慢していることにも気づけない、というループの中にいるのではないでしょうか。
要は、自分を辛い、と認めてあげる人が周りにもいなくて、自分ですら、となると
どうして?不運じゃないと優しくされないの?となってしまうのではないかと、私は思っています。
違ったらすみません。
私はそうでした。
何の解決策も提案できませんが
大人になるにつれ、というか今やっと24歳になりましたが
やっと、自分の感情、不運な人を羨ましいと思ってしまう心理について、自分で分析できるようになりました。
だからと言って、気づいたからもう我慢するのやーめた!と言って急に変われるわけではありません。
ただ、分析できるようになって楽になったこと
昔から年上の大人とよく関わっていたのと、今でも年上の方と関係を築くようにしたら
全然辛くないと思っていたことでも、それは辛いでしょ?(辛かったでしょ?)と言っていただけるので
〔ああ、辛い、悲しい、苦しい、と思うこと。そしてそれを(もちろん人を選んでですが)口に出すことは、悪いことではないんだ〕
と、本当に少しだけ、たまに、安心して心が楽になる瞬間があります。
なんか訳の分からない長文を書いてしまってすみません。
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