昔、ドラえもんで『ありがたみわかり機』というエピソードがあった気がする。
世の中を見ても、別居していなくなった妻のありがたみを夫が思い知るとか、会社を見限って辞めた有能社員のありがたみを残った社員や上司が痛感するとか、無能とそしられてパーティーを追放されたメンバーが実は縁の下の力持ち的なポジションでパーティーに多大な貢献をしていたみたいな話はとても人気があるように思える。
一方でこういうものが流行る世の中は健全なのかと考えずにはいられないし、『ちやほやしてほしい』『俺に私に感謝しろ』みたいな強烈な欲求が見えかくれするように思えてならない。
自分自身だって、人に役立たず扱いされるよりは感謝されたいし、自分は価値のある存在であると信じたい。だが『ありがたみを分かれ』と人様に要求する資格があるかと言われると、どう答えるべきか分からなくなる。
自分は別にほめてほしくてやっている訳じゃないし、ありがたみとか感じてもらわなくて良いから。
心の底からそう言えたら、多分今よりは生きやすくなるんだろうなとは思う。