普段、テレビのニュースってあまりじっくりは見ないのだけど、
(見る人のネガティブな気持ちを、わざと引き出す意図を感じるから)
今、テレビ画面に
「LGBT カミングアウトを後押し」
という見出しが映ってた。
社会派の番組じゃなく、
普通のニュース番組で。
しょっちゅう報道されてる
北朝鮮のニュース等と同列に並んで。
私は当事者ではないのですが
すごく、うれしかった。
少しずつ、少しずつ
だけど確実に
世界は変わっていってる。
LGBTに限らず、生きづらさを感じさせるすべてのことにおいて。
みんなが生きやすい世界を作ろうと
がんばってる人たちが、たくさんいる。
「周りと違う自分はダメだ」
という自分自身の声に苦しみながら
生き抜いてきた人達が
たくさんいる。
その
心細くて苦しくて、泣いてた人達が今、
世界を変える戦士になっている。
世界には、暗い面も、まだまだある。
暗黒面を見て見ぬふりせず、
認めることは、大切なこと。
でも、
闇にどっぷり沈みこんで、
ひきずりこまれないように、
気をつける。ふんばる。
(スターウォーズみたいに!)
大事なのは「どこを見るか」。
かすかにでも見える光を
見つめ続ける。
光は、見つめ続けている限り、絶対に消えない。
この小瓶にもあるように、その類の悩みを持っている人って少なからずはいると思うから。カミングアウトが当たり前に出来るような空気にする事って大切だと思う。受け入れがたい人はいるかとは思うけど、差別はよくないと思う。色んな形はあって当たり前。
よく言うように、たまたま好きになった人の性別が同じって事。そのような考えが分からない人も中にはねいるけど
それって悪い事なのかな?異性愛者が当たり前のように感じるのは、子供が作れるから異性愛者が当たり前って感情になってしまっているからじゃないのかな?でも子供が出来る事が良い事なの?同性でも愛せるって凄いなと思うし、個人をよく見ている気がするんだよ。異性を好きになっても気持ちが高ぶらなかったし、かといって同性も恋愛としては見れない自分はたまにノンセクシュアルかと思う時がある。恋愛が本当に出来ない。カッコいい人を見ても何も感じないし、顔良い方だなと客観的に思うぐらいだし、可愛い女の子もたまに見るけど可愛いなぐらいしか思わないし。可もなく不可もない常態。異性にはそこそこ気に入られていたり好意を持たれたりしてきたけど、付き合いたいとかは思わなかった。その中には美形もいたりして外見は良い人が多かったけど付き合いたくなくて好意から逃げてきた。だからノンセクシュアルなんじゃないかと最近になって思うようになってきた。見てるだけで良い。付き合いたくはない。なんだろう。関わりを持ちたいとは思えないんだ。他人でいたい。恋愛関係はなんだか面倒くさそうで自由も効かなさそう。だから恋愛出来る人を羨ましいなとも思うわけだよ。それに異性、同性関わらず自分が本当はどっちなのかも、それかノンセクシュアルなのかすらも分からない。
私も当事者ではありませんが、LGBTの友人が数人います。
家族にも受け入れられない辛さ、自分らしくいられない生きにくさ…その姿を、たくさん見てきました。
だからこそ。
知ってほしいです。
誰しもが一人の人間であり、個性がある事を。
私は“普通”という言葉が大嫌いなのですが(笑)これって周りと一緒が安心…って、意味のわからない価値基準ですよね。差別をする方々にも、個々の性格があるように、LGBTも同じだと感じています。
あえて申し上げますが、私の友人はとても優しい子です。だからこそ、ありのままに堂々と生きてほしい。そしていつか、素敵な恋をしてほしいと願っております。
あなたのような方が、一人でも増えますように…。