どうして親は「あなたの仕事は学校に行くこと」なんて言うのだろう。
無理やり行かされても楽しくないし、何より精神的に辛いのに。
今日もまた、学校に行けず上と全く同じことを言われた。学校に行くことが仕事なら、私はその仕事を辞めたい。今学校に行きたくても行けない人に交代したい。
私のことを何も知らないくせに「自分の人生なんだからね。知らないよ」って言ってくる。
なら、学校行かなくていいじゃん。私の人生なら学校も行くのも嫌だし、あなた達の子供でいるのも嫌だから、死にます。なんて言ったら呑気に死なせてくれないでしょう?私の人生なのに。言ってること矛盾してるよ。
一回不登校になって自殺未遂だったのに、何も学んでないんだね。この世はインターネットという便利なものがあるのに。
なぜ、わかってくれないのか不思議です。
このままどこかに行きたい。そのまま消えて無くなりたいです。
私も小学校の頃、不登校で親に「あんたは学校に行くのが仕事」と言われたことがあります。その時は小瓶主さんと全く同じことを思っていました。私の人生なんだから好きにさせてよ。私は今、学校に行きたくないの。家にいたいの。自分の好きなことしていたいの。こんなことを思っていました。
中学に上がってからはこのままではこれからの人生全てがダメになる。生きていけなくなる。と思い、担任の先生の力を借りながらなんとか3年間通うことが出来ましたが、小学校6年間ほんとんど学校に行ってなかったので、本当に勉強についていくのが辛かったです。友達は理解出来るのに、私は全く理解出来ず、取り残される。そんな感じでした。
それに、友達が小学校の頃の思い出などの話で盛り上がっていても小学校に行っていないので話についていけず友達なのに壁を感じていました。今でもそうです。小学校の頃ってこんな感じだったよねぇー。と言われても分からないので、そーなんだー。そーだっけ?などと曖昧な言葉で誤魔化しています。
小瓶主さんの私の人生なんだからという言葉や気持ちは本当によく理解できます。でも、ご両親の学校に行かせたいという気持ちも今の私はよく理解できます。
これから先、大人になっても、学校の思い出話というものは出てきます。その時に、周りの会話についていけない苦痛を私はこれからも味わい続けます。小瓶主さんにはこのような思いをして欲しくありません。ですが、無理に学校に行けなんて私は言いません。自分も学校から逃げた立場なので。でも、命を絶つのだけは思いとどまってください。私も小学校の頃は毎日のようにどうやって死のうか考えていました。でも、母親と話したり、喧嘩したりして、なんとか踏みとどまってきました。そんなこんなで中学にあがって、親友を二人も見つけました。この子達は私をとても大切にしてくれます。小瓶主さんにもきっとそのような方が見つかると思います。だから、自分から命をたつ前にそんな友達を見つけてみてください。それでもダメならその時は、嫌かも知れませんがご両親を頼ってください。死ぬ気で親に言葉を投げかければきっと耳を傾けてくれるはずです。それでも耳を傾けてくれなければそんな家は飛び出していいと思います。どうにか逃げて生きる道を見つけてください。こんな顔も知らないような人から文面だけでそんなことを言われてもなにも心に響かないかも知れませんが、この言葉が届くことを祈ります。
私も息子が不登校になったときは
必死に学校に行かせようとした。
今の死にたい気持ちよりも、楽しく学校へ通うことを望んだ。10代半ばの子には、それが酷だっただろう。
親は、学校で楽しくやれると信じて疑わないから、そうやって押し出したり、アドバイスするんだ。
40歳の大人だったら可能かもしれない、なのに、子は10代半ばって分かってないんだよね。
人生の数年を休ませるということが、親は怖くてできないんだ。子が学校へ行かないことが、親は怖いんだ。
私もそれを経験した、子を必死に押し出そうとしたよ。
子が、幸い抵抗をしてくれて、死ぬことをしないでくれたから、母として大事なことを失わずに済んだ。
だから、親がそんなことを気付くまで、どうか、辛抱して欲しいんだ。死なないで欲しい、存在していてください。
親は、必ずあなたという贈り物に気が付く。
人生の意味を、生きるとは何かを、子が教えてくれる。
学校が仕事がという前に、生きるとは何かということを、親の方が知らないと行けないのだから。
当たり前と言われるような生き方しかできない昭和の人間を、どうか気長に待って欲しいのです。
色んな生き方があるんだということが新し過ぎて、怖くて抵抗してしまうんだ。
世の中は着実に変わっている、古いあり方は徐々に形を変えています。生きやすい時代が来ることを期待して、また、新しい時代を共につくる一員として、自分の人生に責任を持って。
親子で乗り越えられることを祈っています。