わたしの将来の夢は「一人暮らし」だった。
ここで指す一人暮らしは、都会で自立、のような未来への希望に満ちたものではない。
・木々の生い茂る深い森の中
・ひっそりと佇む小さな一軒家
・当然周りに他の民家などなく
・外部との交流は時折訪ねてくる郵便局員のみ
・夫は先に旅立ち、子供はいるがとっくに自立し連絡はない
・四季折々を楽しみながら年老いた犬と暮らす
ひとりぼっちの白髪頭のおばあさん。
それがわたしが初めて描いた将来の夢だった。
小学校低学年。授業参観で掲示物を見たらしい母親に、お前の夢を読んで恥ずかしくなった、と言われたからよく覚えている。
ひとに見せる将来の夢、は前向きでまっとうなものでなくてはならないらしい。
だからそれ以降は「研究者」と書いた。
もちろんそれは表向きの回答で、わたしの夢は依然として、「一人暮らし」だった。代わりに「研究者」と書いたのも、周りと交流をあまり持たずともやっていけるイメージからだ。とにかく1人になりたい。はやく白髪頭のおばあさんになりたい。歳を重ねてもその夢は変わらず、その途中過程は完全にすっぽ抜けたままだった。
中学、高校と恋も仕事もなにもかも、なりたい現役世代の姿を全く描けないままわたしは成長した。
イジメを受けていた訳でも、ネグレクトをされていた訳でもない。
なのに毎日ここからいなくなりたくて、でも自殺を選んだら家族は悲しむだろうし、下手したら親族までも周りから後ろ指をさされたり迷惑がかかるだろうと思い踏みとどまった。
それなりの進学校だったから、大学受験も、した。
母親の口癖は勉強をしなさい、大学生になれば自分はもうなにも言わないから、で学校からも言われることは良い大学に入りなさい、だったから目標校に無事受かったとき、喜びよりも先に来たのは安堵だった。もうなにもいわれない。
ただ、やっぱり自分でも友人からも予想されていた通りわたしはすぐに学校を休みがちになって、通えなくなって、そのまま退学することになった。
運良く就職もできた。派遣でも、正社員でも条件はいつも悪くない。
なのに就業だけが続かない。
良いところだ、ありがたい、頭で考えていても身体が不調を訴え動けなくなる。
最近では1ヶ月は耐えられても2.3ヶ月目で耐えきれなくなり辞めてしまうパターンがほとんどだ。
それとも世の中の社会人はみんな毎日胃の鈍痛で目が覚めて吐きそうになりながら通勤して笑顔で働いて、またしにそうになりながら毎日帰ってきているんだろうか。
親には迷惑をかけてばかりだ。
死んだらもっと迷惑だと堪えてはいるけど、わたしがおばあさんになれるまであとどれくらいなんだろうか。
自分は30歳まで生きていない気がする、高校生のときに漠然とそう思っていたことを思い出して28歳の誕生日を迎えている。