価値を探したり、作っていくのはどうだろうか。
小瓶主さんは自分に価値がないと思ってるのかもしれないけど、何かが出来るかもしれない以上、生きているだけで自分にとっての、行動できるという価値はある。
…と考える事もできるんじゃない?
思い込みって頭の中の出来事だし、これからも付き合ってくもんだと思って、何か価値があるんだと思い込んでみたらと言うか…
心から価値があるんだと思える事を自分の中に探してみたり、作ってみたらどうかな。
息ができるとか、寄り目ができるとか、冷たい飲み物が美味しく感じられるとか、なにかしていて楽しいとか、どんな些細な事でもいいから。
で、心から価値があるとか、少しでも思えた事は、何も価値がないと思った時に、「いや、やっぱよくよく思うとこういう価値がある」みたいに思い直せばいいだろうしさ。
癖みたいになってる事から、何回か、自分には価値がないんだと思うかもしれないけど、価値がないと思えても、これから作る事が出来るんだという事を価値にすれば良いと思う。
確か、その都度思ってる度に、少しずつだけど俺は出てこなくなったかな。
価値がないから悪いということはなくて、寧ろ、まっさらだからこそ見えてくるものもあると思う。
それも価値ではあるんじゃないかって事。(違うと思うならそう思い込む必要はないので、自分の納得行く価値を見つけてくだされば)
また、価値が見つからなくても、別にそんなもんなくても生きてはいけるからね。
価値や納得が欲しいのであれば、価値というか、目標的な感じで、どうしたいかを考えてみるのもアリかと。
ただ、まあ、もしその、小瓶主さんの言う「価値」って言うのが、他人からの目線での価値だって言うんなら気をつけた方がいいかもしれない。
結局の所、自分の価値は自分で生み出したり、行動している内に自然と作り上げられていくものだと思うから、他人が自分に見出す価値(評価)だけに基準を置くと、自分の価値がうまく生まれなくなっちゃうんじゃないかと思う。
だって、他人って、どういう人物を想定しての他人なのか、あやふやじゃない?
それに、あやふやだとすると、誰かもわからない人の価値を自分に求めよう、そうあろうったって、さっぱりわからなくない?
あやふやなそれを基準にしてもどんな価値が生まれるかってわかんなくない?
自分の価値は自分のものなんだし、他人からどう評価されようが、自分自身がなけりゃ評価のされようもないというか、評価されても納得のしようもないだろうし。
それだったら、思いやりのある人でいたいとか、自分の真偽を見極められるようになりたいとか、嫌な事はしたくない、誰かを笑わせたい、だとか…
そう言う感じの小瓶主さんが思う、なりたい、そうでありたい自分を心に留めて、自分と向き合ってみたらいいんじゃないかな。
そうなれるかどうかとは別に、なろうとした事自体が、また一つの、自分自身にとっての価値になるんじゃないかと俺は思うよ。
ご自身の中の、「自分の価値」っていうのがどう言うものなのかという事と、どういうものが自分にあるのか、どういった自分だと嬉しいのか、楽なのか、って事を考えてみたらどうだろうか。
それで出てきた、こうなりたい、こうでありたい、こうしたい、とかいう思いを行動に移していく内に、自分の価値が少しずつ出来て、見えてくると思うし、自分に対して何の価値もない、と思う事で悩む時間は少なくなっていくんじゃないかな。