昨日、私はとても心を痛めさせられる出来事を目の当たりにしました。
(拙い語彙力と纏まらない文になります、すみません)
昨日は部活がありましたが前日の夜更かしが災いして、遅刻ギリギリの出発となりました。
通学はいつも自転車で、昨日もそうでした。急がなきゃ、と漕いでいましたが信号に引っかかって、仕方なく止まりました。
そこは十字路だったのですが、その真ん中に落ち葉にしては大きい塊が落ちていました。
車が見えると同時にその塊が動き、飛び上がりました。
なんと、スズメだったのです。
車が来ているにも関わらず、そのスズメはフラフラと力なく低い位置を飛ぶしかなくて
「え…!?」と思った時にはもう手遅れでした。
小さく鈍い「ドンッ」が聞こえると同時に、2mくらい離れた道端にスズメは飛ばされていました。
信号が青になってから駆け寄ると、僅かに動いてはいたものの羽がボロボロであらぬ方向に曲がってしまっていて、
血が出ていないけれど、一目で可哀そう、痛そうと感じるものでした。
私は、この時は単に生き物好きからどうにかしてやりたくなりました。
そしてYouTubeなどで見た捨て猫保護などを思い返して、獣医に連れていくべきだと思ったのです。
ですがどうでしょう、自分は今部活に急いでいるし、
金欠と大人がその場にいなかったので治療費なんて払えないし誰かに負担してもらうこともできませんでした。
周りには人もおらず、誰かに相談することもできません。
これらは言い訳になってしまいますが自分の現状では無理だと判断しました。
住宅地だったので誰か気付いてくれるだろうと人任せにして去ってしまいました。
そして部活帰りの正午。同じ道を通るといないことを願ったスズメがまだいて、さらに暑さが追い打ちをかけたのか微動だにしませんでした。
この瞬間からずっと罪悪感に駆られています。
生きていた動物が「もの」になったと感覚で分かりました。
動かないというよりもスズメの中の時間が止まったかのようでした。
前に親戚のお葬式を見たときは泣かないどころか悲しくもなんともなかったのに、
スズメに対して悲しさややりきれなさを感じました。
私はまだ中学生、生きたのは15年間程。その中で人間どころか生き物全ての「死ぬ瞬間」に遭遇したことがありませんでした。
弟が飼っていた熱帯魚も金魚もカブトムシもクワガタもトンボもセミもメダカも、
それらの死は私の知らないうちに起こっていて、気づいたら動かなくなっていました。
でも、死ぬ瞬間を見て関わってしまうとこんなにも悲しいんですね。
こんな話、誰かにはくだらなく聞こえるかもしれません。誰かは大袈裟だと馬鹿にするかもしれません。
そのくだらない事で大袈裟に悲しんでいる私に、慰めか何かをくださると嬉しいです。頭の中がその出来事でいっぱいで辛いので。
長文なうえに文章力がなくてすみません。読んでくださりありがとうございました。
私も生き物の死に遭遇したことありますよ。
ちょうど今日です。
私の家に雀の巣があるのですが、カラスがその巣をつついていて…気づいたときにはもう遅かったのです。
(しかしカラスだって食べないと生きていけません。もし追い払えて雀の命が助かったとして、それは本当に正しいことなのか…。でも、カラスは雀をましてや小さいひなを食べたことでお腹は満たされるのか…。)
その近くでは、
「チュン…チュ‥チュ‥チュピ」と泣く
親雀と見られる雀の姿が…
心がものすごく痛くなりました。
なのであなたの気持ち、ものすごくわかります。
人も鳥も魚も虫も、いつかは必ず死にます。
でも、だからこそ大切にするんじゃないんですか?
だからこそ、その時その時を一生懸命生きるんじゃないですか?いつ会えなくなるか、わからないのですから。
次へ次へと命をつなげるために、頑張って生きる姿は、美しいと思いますよ。あなたがもし雀を優先したとしても、必ず助かるとは限りません。その雀の運命だったんだなって思うしかないです。
でも、これだけは言えます。
あなたが感じたことは、無駄なことでも大げさなことでもないということを。