辛い時に友達が一緒に泣いてくれた。
たまに耳にする話。
そんな友達って本当にいるの?
辛いだなんて言ったら上辺の優しさをくれる人とめんどくさそうにしてくる人と自分の話をしてくる人と説教をしてくる人しかいないのでは?
私に価値がないだけか。
上辺だけでも優しくしてくれる人を大事にしろよ。
私が私だもんな。私が人に上辺ばかりの愛想と優しさをばら撒く人間だからきっと隠しているつもりでも滲み出てるのだろう。意外と分かるもんだ、ああ、こいつ上辺だけだなって。私も分かる。そんな人間に心からの優しさをくれる人なんていない。
優しい人間になりたかった。私が人に優しくするのは自分が優しくされたいからで愚痴を聞くのは自分の愚痴を聞いて欲しいから。そんな黒さが滲み出てるんだ。
心から優しい人間になりたかった。
優しくされたいそんな価値がなくても、話を聞いて欲しい上部だけでも。
なんで私はあんなに貴方の話を聞いてあげたのに貴方は私の話を聞いてくれないんだろう。そんなことを思ってしまう私がいる。
私は貴方に話を聞いて欲しいのに。結局話せないからここで小瓶を流す。
でもどうしよう、お返事はとても嬉しいのに満たされない。
辛い時に友達が寄り添ってくれた、そんな話を聞くと羨ましくて仕方がない。
誰かに寄り添って、自分も寄り添って貰って、そんな人間になりたくて、でも、私の優しさって本心じゃないなって気づいてしまった。
ああ、この人、こういう言葉を求めてるなーって思ったら思ってなくとも言ってしまっている。本心じゃない。
人に愛されたいなら人を愛しせよ。どっかできいた。
だから人に本心から優しくされたいなら自分もそうでなくてはいけないけれどこういうこと思っているじてんで計算した行動だよな。
自分がこんなんだから。
もう、上辺だけでも良い、話を聞いて欲しい。
なんか疲れた本当につかれた
小瓶主さんは黒くありません。
それが人として当たり前の感情なんです。
小瓶主さんは純粋だからこそ、自分のずるさが、許せないのです。
昔の私もそうでした。
親に裏切られ(ここでは割愛しますが、人を信じられなくなるには十分な出来事の積み重ねでした)、人付き合いも損得勘定だけで生きて来ました。
それはもうこれ以上自分が傷つくのが怖いから。ガチガチの毛皮を着て本心を隠していました。
大切な人にもひどいことをわざと言ったりして相手の愛情を試したりしました。
その時に言われた言葉をあなたにも送ります。
「人は自分が一番かわいいと思うなかでどれだけ他人を愛せるか」
当時はこの意味が分かりませんでした。
しかし、今なら分かります。
人は自分自身を大切にしてこそ、他人を愛せるのだと。
だからあなたは、自分自身の黒い感情も大切にしていいと思います。
自分を受け入れることで、目の前の大切な人への見方も変わってくると思います。
私は沢山の大切な人を自ら手離して来ました。今出合えば全く違った状況だったろうなと思います。
とは言え、また まだ未熟者ですが。
あまりご自分を責めないでくださいね。