私は福島県の中通りに住む中学三年生です。宛メで数回お返事を書いたことのある程度ですが、返事はしなくても皆さんの心のメール(勝手に)を読んで色々考えます。
今回は東北地方太平洋沖地震、また福島原発について初宛メを送ります。
ニュースで毎日報道されているこのことについて皆さんはどう思いますか?
何かしてあげたい、しよう
何が自分にできるのか
悲しい、辛い
自分じゃなくて良かった
知人や家族のことが心配
たくさんの援助に心暖まる
助け合おう
皆が助かりますように
行方不明者が生きて見つけられていますように
特になにも、関係ない
他にもたくさん思うことがあると思います。私はニュースで同年代の女の子が「お母さん!お母さん!」と泣き叫んでいるのを見て悲しいのと、怖いのとで涙をボロボロ溢しました。はたまた性別や年齢関係なく家族や親戚、友人の安否に不安があり泣いている。
その時にふと思ったことがありました。
報道って何?(大それたことではなく)と。
たくさんの凄惨な現場を映し、作られた原稿を読み放送する。私はそれがどうにも機械的というか、人間味があまり無いように感じられてしまうのです。
でもそれぞれの局でライフライン情報や地震、津波の状況を事細かに放送し、それに助けられているのも事実です。現場の記者が被災者の方にインタビューして泣いているのも見ました。
しかし、これが報道する側の常識なのですか?
どんなに恐ろしく泣きたくなるような映像でも顔色を変えずに事実を伝えることが。
助けを必要としている人がいるのに傍観者に徹することが。
だとしたらあまりにも辛いことだと私は思います。感情を出さずに。自分に不甲斐なさを感じて。それでも止めずに。ただひたすら。
これは綺麗ごとですか?
偽善だと言いますか?
綺麗ごとって駄目ですか、偽善で救えるものは無いのですか?
今、なんだか切なくて泣いています。情緒不安定で申し訳ないです。
個人のブログなどを見ていて「どうでもいい」「なんとかなるだろ」「ありえなすぎて笑える」「偽善だろ」「綺麗ごとだ」という内容の書き込みを見て思ったこととじぶんがニュースを見て感じたことをごちゃごちゃと書いてしまいました。
結論なんて無いです。まとめることなんてできないです。むしろこれだから意味があるんです。
愛のある批判、または意見お待ちしています。稚拙な文章ですみません。
僕たちで未来へ、みんなで明日へ。
愛を込めて。ありがとう。そして助けてあげられなくてごめんなさい。
鴉取
私は、ニュースを見ても他人事だと思う人間です。失った人やものが帰ってくることはありませんし、残された人はこれからを生きていっていつか笑える日もくるだろうと思います。自分が体験していないから言えることなのでしょうか。
報道は、今を生きる多くの人を助けるための仕事なのだと思います。たしかに、報道のなかには悲しいものもたくさんあります。ですが、起きてしまったことを嘆くだけではいけない。世界のどこかでは同じようなことで苦しんでいる人やこれから同じようなことで苦しむかもしれない人がたくさんいる。だから、今を生きる人の多くを救うために、悲しい事実でもそれを知ってもらうことは大切であり、それを伝える仕事が世の中には必要なのです。
それは、たしかに辛いことかもしれません。ですが、今を生きる誰かは救うことができる。それは、素晴らしい仕事だと思います。
綺麗ごとや偽善がだめなんて、ないと思います。綺麗ごとや偽善でも人が救えるなら素晴らしいことです。なにもしない人より、綺麗ごとや偽善でも動くことができる人の方がいいと思います。
体験したことのない人が、ありえない、どうでもいいと思うのはしょうがないことだと思います。ですが、あなたのように泣いてくれる人も、世の中にはたくさんいます。そういう人達を見て、残された被害者の方は少しでも救われると思います。
助けてあげられなかったことをどうか責めないでください。幸せに生きることが、残された人にできる唯一のことです。