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「お兄ちゃん、淳ちゃん…今日は二人にお母さんからお礼が云いたいの…」
「…お礼って…どうしたの?」
「実はね、死んだお父さんが起こした事故で八人もの人に、怪我をさせ迷惑をかけてしまったんだけど…保険等でも支払い出来なかった分を、毎月五万円ずつ払い続けていたの」
「うん知っていたよ」
女将と店主は身動きしないでじっと聴き入っていた
「支払は年明けの3月迄になっていたけど、実は今日、全部支払いを済ませる事が出来たの…」
「えっ!ほんとう、お母さん!」
「ええ、ほんとうよ、お兄ちゃんは新聞配達をして頑張ってくれるし、淳ちゃんがお買物や夕飯の支度を毎日してくれたお陰で、お母さん安心して働く事が出来たのよ
良く頑張ったからって、会社から特別手当を頂いたの、それで支払いを全部終わらす事が出来たの…」
「お母さん!お兄ちゃん!よかったね!
でもこれからも夕飯の支度はボクするよ」
「ぼくも新聞配達続けるよ、淳!頑張ろうな!」
「有り難う、本当に有り難う…」
「今だから言えるけど、淳とぼく、お母さんに内緒にしてた事があるんだ、それはね…11月の日曜日に淳の授業参観の通知が、学校からあったんだ……あの時もう一通先生からの手紙を預かってきていたんだ
淳の書いた作文が北海道の代表に選ばれて、全国コンクールに出品される事に成ったので、参観日にその作文を淳に読んでもらうって
先生からの手紙をお母さんに見せれば、会社を無理して休むのがわかるから淳、それを隠したんだ
その事を淳の友達から聞いたものだから…
ぼくが参観日に行ったんだ」
「そぅ~そうだったの…それで…」
「先生は皆さんが将来どんな人に成りたいですか?と云う題で全員に作文を書いてもらいましたところ淳君は
『一杯のかけそば』
と云う題名で書いてくれました、これからその作文を読んでもらいますって
『一杯のかけそば』って聞いただけで北海亭の事だと分かったから、淳のヤツ何でそんな恥ずかしい事を書くんだ!
と心の中で思ったんだ
作文はね…お父さんが交通事故で死んでしまい、沢山の借金が残った事、お母さんが朝早くから夜遅く迄働いてる事、ぼくが朝刊夕刊の新聞配達に行っている事など、全部読み上げたんだよ…
そして12月31日の夜、三人でたった一杯しか頼まないのに、おそば屋のおじさんとおばさんは(有り難うございました!どうか良いお歳を…)って
大きな声をかけてくれた事、その声は
(負けるなよ!頑張れよ!生きるんたよ!)
って言ってくれてる様な気がした
それで淳は、大人に成ったらお客さんに(頑張ってね!幸せにね!)って
思いを込めて、(有り難うございました!)
と言える日本一の、おそば屋さんにになりますって、大きな声で読み上げたんだよ、お母さん…」
カウンターの奥にしゃがみ込んだ女将と店主は、一本の手ぬぐいの端を互いに引っ張り合う様に掴んで、溢れ出る涙を拭っていたのである
淳が作文を読み終わった時に先生が
「淳君のお兄さんがお母さんの代わりで来て下さって居ますので、ここで挨拶をして頂きましょうって…」
「まぁ、それでお兄ちゃんどうしたの?」
「突然だったから始めは言葉が出なかったけど……皆さん、いつも淳と仲良くしてくれて有り難う…弟は毎日夕飯の支度をしています
それでクラブ活動の途中で帰るので、迷惑をかけていると思います、今弟が『いっぱいのかけそば』と読み始めた時に、ぼくは恥ずかしいと思いました…
でも、胸を張って大きな声で読み上げている弟を見ているうちに、(いっぱいのかけそば)を恥ずかしいと思う、その心の方が恥ずかしい事だと思いました
あの時…(いっぱいのかけそば)を頼んでくれた母の勇気を、忘れてはいけないと思います…
兄弟、力を合わせて母を守っていきます、これからも淳と仲良くして下さい…って言ったんだ…」
しんみりと互いに手を取り合ったり、笑い転げる様にして肩を叩き合ったりして、昨年迄とは打って変わった楽しげな年越し蕎麦を食べ終え、300円を支払い
「ごちそう様でした」
と深々と頭を下げて出て行く三人連れを、店主と女将は一年を締めくくる、大きな声で
「有り難うございました!どうか良いお歳を!」
と送り出したのであった
また一年が過ぎて…
北海亭では夜の九時過ぎから『予約席』の札を二番テーブルの上に置いて、待ちに待ったがあの母子三人連れはとうとう現れなかった
次の年もその次の年も、二番テーブルを空けて母子を待ったが三人連れが現れる事は無かった
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