次から次へと毎日毎日、いったん、すべてから離れてどこかへ行きたい。
誰かの力になりたいって、難関試験を何度か落ちてやっと合格してつかんだのに▪▪▪年とってからだから、若い人より覚えも悪くなって頑張っても周りに迷惑かけてるんじゃないかって▪▪▪誰のことも救えなくて、私の存在なんか無駄な気がすることさえある。私は生きていていいのかな。
幸い、産業医に受診できたり、上司や周りも気づかってはくれるけど、本当は迷惑に思っているんじゃないかとか、色々考えてしまう。障害のある娘は詐欺にあって自己破産▪▪▪彼女の奨学金は私が肩代わり、老いた両親にも迷惑かけられない。私は不安神経症と鬱傾向って言われた。働くの精神的にきつくなってきて、休職も申し出たくらいなのに、お金のこと心配。何かもう、疲れたよ。楽しめること減っちゃったし。今はコロナ禍で心身のバランス崩している人多いって、誰も悪くないから自分を責めないでって。治るから大丈夫、大丈夫って総合内科の先生に言われた。それは救いだったけど、時々、どこかに吐き出したいから▪▪▪誰か、お返事もらえるといいな。
自分以外の誰かのために頑張りすぎるのは、そろそろよした方がいいサイン、身体から出てませんか?
娘さんの奨学金も、なぜあなたが肩代わりなさるんです?
もう成人されてますよね?
どんな障害があるにせよ、普通の寿命まで生きるとしたら、最後まであなたが庇い通すのは恐らく不可能でしょう。
…責められている、と感じさせてしまったのなら、申し訳ないです。
でも一度、色々リセットする時期なのかもしれませんよ。
あなたが生きる価値は、あなたがご自分のために生きるところにあるのですから。
これからはもう、したいことしかしない!と、宣言してもいいくらいじゃないでしょうか。
少なくとも、娘さんの尻拭いは、これ以上してはいけないと思います。
次はない、ということは、よくよくわかって頂かないと、です。
あなたにその余裕があるならまだいいのですが、どうももう、限界のようにお見受けしますから。
誰かの力になるとしたら、それは自分にそれだけの余力がある時に限定した方がいいと思います。
もしくは、相応の対価が得られる時ですね。
だからお仕事ならまた別なのですが、身内にはどうしても過剰対応してしまいがちなので、それがまたしんどさを生むのだと思います。
あなたが投げ出すことで崩れることがあったとしても、それには元々それだけの強度しかなかった、というだけの話かもしれません。