「死にたい」は本当は「生きたい」だ、という話を聞いたことがある。私の場合は、「幸せになれるのなら生きたい。そうでは無いから死にたい」だ。死にたいも生きたいもどちらも正解だけれど、結論としては死ぬしかない、ということだ。
人として生きていくための平均的な能力が自分に備わっていたら、そして幸せになる未来が見えたのなら、生きたかった。子どもの頃から小説や漫画が大好きで夢見がちなほうだったし、今でもそう。
しかし、これまでの短い人生で、自分にはこの世間を生きていく力がないな、と実感してしまった。否、生きては行けるが、決して人並みの幸せを手に入れることはできず、辛い思いばかりだろう、と。
それならば、生きていたくはない。惨めな思いをしてまで生きていたくはない。自分なりの、自分だけの幸せを極めるような質でもない。出来ることなら違う人として生きたいくらいだ。
人並みの人生を送りたくて、勉強などの努力はしてきた。服装にも気を使って、コミュニケーションも頑張ろうとして。だけど、これ以上は無理だと思った。これ以上頑張っても意味は無い。
もう、頑張れる余力がない。だから、「死にたい」。