自慢ではないけど、私はこれまで、100人近くいる大所帯の部署で常に首位の成績を取ってきた。貰ってきた待遇は、他の人達と比べて天と地の差といってもいいぐらいのものだった。
スキル、知識、経験、コミュケーション能力、あの業界で必要なものの全てを一通り培ってきた。もう敵は誰もいない、そのぐらいの習熟度になりつつあった。ところが、その私が今日、契約打ち切りになってもおかしくないレベルの大失態をした。
コロナの後遺症で倦怠感がつらい、頭がぼんやりしていた、なんて言い訳をするつもりはない。私は首位だ、という下らない小さいプライドが過信を招いて、体調不良だっていうのに大事な判断をする時に誰にも頼らず、いつものように個人プレーに走った。100%私が悪い。自分でしっかり納得できる。いい大人なのに恥ずかしげもなく人前で泣くほど反省もしたつもり。今は虚無の状態。これはきっとバチなんだ。バチが当たって当然よ。でも、有難いお仕置だと思う。
だけど、ふと思い出した。私が畑違いの業界から今の業界に転職したのは、元は本業であるクリエイター業に集中したいがために、立ち仕事じゃなくて、座ってできる職を副業にしたかったんだ。
今の業界でトップに立ちたいから転職した訳じゃない。むしろあの業界で畑違いの私ごときがついていけるか、不安だったぐらい。それなのに、その私ごときがありがたいことに、たまたまトップに立った。
一時の夢でも良い、少しでもついていければそれでいい、と思ってた。それ以上は何も望まなかった。それなのに、私はそんな初心を忘れてどんどん驕り高ぶるどころか、いつの間にか自分の本当の目的まで見失っていた。馬鹿だな。ちょっと周りにあてにされて、大勢を抑えて、上から優遇を受けただけで自分を見失って。天狗になって。調子に乗ったがために。天は人の上に人を造らず、というでしょう。私にも上も下もない、そもそも本業がある以上、私は部外者のようなものだし。
これで良い。神様からの、こんなに有難いお叱りはない。こんなに実りのある経験もない。悲しいけど、同時にすごく嬉しい。本当の私を思い出すことが出来た。こんな風になる前の、純粋に楽しんでいた頃の私を、また思い出すことが出来た。苦しいけど、本当に感謝しかない。本当に、有難う。
今私は、周りの人が言ってくれるように、自分に才能があった、とはとても思わない。平凡な私が、たまたま努力と運で首位に立った。それは、素晴らしいこと。でも、失敗をする前にたまたま全て気付いて修正してきただけあって「大きな失敗が一度もない」、これはただ挫折を大きくするだけだったかもしれないね。失敗とは、良いことなんだ。
この挫折だけを理由に、あの業界から身を引こうとは思わない。元々、本業に手が回らないほどの激務に追われる精神的なストレスと、職場内クラスターも出ていて、いつまたコロナに罹ってもおかしくない、通報までされている感染対策不十分の密な職場に対する強い不安があった。今年いっぱいで辞めよう、とはずっと思っていた。このまま首位でい続けられるなら、と調子に乗って、そんな自分の本当の思いさえ潰してしまっていたことにも気づけた。
不思議だな。あれほどの大失態をした、ずっと縋ってきたものはもうそこにないのに、死にたくもならなきゃ消えたくもない。他の同僚たちが同じような失態をしてきたのを見て、きっと私なら死にたくなるんだろう、と覚悟してたのに。虚無感はあるし恥や申し訳ないと思う反面、肩の荷が降りた感じさえする。
それと、こんな超個人プレーで力任せの奴の手を握って、背中をさすってくれた優しい同僚がいた。
人間、上も下もない。仲間以上のものはない。
成績なんかより、ずっと温かくていいものだね。
今年は、本厄。コロナもあって、今動いたらもっと大変な目に遭いそうだし、後遺症もあるし。今年はゆっくりしながら、我慢。今年の末日で、楽しかったこの奇跡の夢物語は終わりにしよう。
終わりのその日まで、1日1日を丁寧に。
自分らしく。
飾らない、トップでもない、勿論天才なんかでもない、ただ悪運が強くて人に負けない自慢の趣味がある、本当の私と向き合う。
本当の自分を大切に。それから、仲間も。
最後までお読みいただいた方、ありがとうございます。稚拙な文章、失礼いたしました。