憧れが憧れのままシャボン玉のように消えてしまう。それを認めるのが怖いので、直視することから逃げ続けてきたが等々年貢の納め時のようだ。彷徨うにようにその日を生きてきたが、気が付けば一人ぼっちのまま、学校にも職場にもうまく馴染むことが叶わぬまま、言葉巧みに周囲の人達から傷つけられ、反論さえ碌にできず、疲弊するばかりである。
もう流石にボロボロときたもので、仕事におけるやりがいも生に対する愛おしさも、もはや風前の灯火か。
身体機能の低下、脳みそが以前にも増してのろまになっていくこの有様は、認めたくないものの老いや苦悩による限界を物語っている。
自分らしく働ける環境というのは、一体全体どこに転がっているのやら。そして私はそもそも、それを得られるだけの能力を保有しているのでしょうか。こればかりは試してみないことには、ちっともわからない。ただ漠然とした大きな不安に駆られてしまい、その場でしり込みをして、苦悩の元凶ともいえる今の環境を維持しようとする怠惰な脳みその幻惑に踊らされ続けるのは、とうに限界のようだ。
人様に対して偉そうにコメントを出していたりするが、自分自身がちっとも楽しそうに生きておらず、満足感を覚えている様を世の中にお伝え出来ないのであれば、人生の幸福に言及すると気が付けばただの反面教師でしかありますまい。
転職活動を行うというのは、ひとつの別の未来への大いなる分岐点足りえるのか、疑問が残るところではあるが、ミジンコサイズの勇気と決断をもってこれを行うは、人生を取り戻すための大いなる反撃となるかもしれない。
生きる意味を、見出せるかな。