この小瓶を拾ってくださった方々、本当にありがとうございます。
今回初めて小瓶を流します。読みづらかったり、伝わりにくかったりといったことがあるかもしれませんが、どうか最後まで小瓶の中身を読んでいってください。
中学2年生の女子生徒です。
3年生が引退し、この度バレーボール部の部長兼キャプテンを引き継ぎました。
とはいえ、2年生は私だけだったので自動的に決まったようなものです。
部長を引き受けたことに後悔はしていません。
今年4月より憧れていたバレーボールを始め、1ヶ月あまりでサイドハンドサーブを習得し、意欲と好奇心の塊とも言える8人の後輩に囲まれ、彼らの唯一の先輩としてバレーボールをやれていることが今でも信じられませんし、幸せです。
夏の引退試合の後、サイドハンドサーブの次は、フローターサーブを、という話になりました。
それから、フローターサーブの練習を始めてから5ヶ月が立ちます。
未だ、フローターサーブはネットに届きません。
距離も高さも、後少し足りません。
後少しなのだから、もう少しで出来るようになる。
そう思って今まで必死に励んできました。
ですが最近、一向に届かないボールを打つたびに、努力し続けることに限界を感じてしまう自分がいます。
「サイドハンドサーブを習得できたのはせめてもの努力が偶然報われただけであって、それ以上の習得は出来ないのではないか」と思ってしまう自分がいます。
今から書かせていただくことは、数々の小瓶にお返事を返されてきた皆様、初めて小瓶にお手紙を返される皆様の中には、理解しにくいことがあるかもしれません。しかし、一個人の意見・考えだと捉えて頂けるとありがたいです。
50m走10秒台、跳び箱も鉄棒も出来ない私は、いわゆる運動音痴という部類に当てはまるのだと思います。
たとえ運動音痴であってもバレーボールが出来るということを証明したかったのかもしれませんし、内気な自分を変えたかったのかもしれません。
元々、小さく生まれた私は運動器官の発達が遅く、普通に発達した人よりもバランス感覚などがありません。
腕を後ろに引いた時に足を踏み出し、腰を捻らせながらスイングするという一連の動作を、運動神経がいい人が感覚でできるのに対して、連動した動作が苦手な私にはうまく出来ないのです。
バレーボールが好きだったはずの私は、昨日初めて泣きました。
こんな初歩的なことで5ヶ月。
気がつけば、「努力し続ければ―」という励ましの言葉も、深く胸に突き刺さるようになっていました。
部活動が活発とは言えない私の学校に残された大会は、後2回です。
私にバレーボールを教えてくれた人が見に来る大会なのだから、スパイクの習得が間に合わなくても、せめてサーブだけは、そう思っていましたが、少し、疲れてしまいました。
運動神経がいい人が感覚でやれる物事を、運動音痴の人・運動が得意じゃない人というのは努力で補うしかないのだと、父は言っていましたが、運動神経がいい人が活躍し、努力で補うしかない状況に生まれた自分が憎いです。
運動神経がいい人がなんとなくで出来てしまうようなことを、運動音痴の人は努力で補うしかないという「運動神経がいい人」と「天性的な運動音痴」の差がある世の中が悲しく、憎いです。
「運動神経がいい人を見返してやる気持ちで」というお返事をくださる方も中にはいるかも知れません。
先に断らせていただきたいのですが、私には「悔しい」という感情が欠落しているのだと思います。
そのせいで、「この点数で悔しくないの?」とテスト用紙を前に親に問い詰められたこともありました。
「悔しさを感じられない人に成長はない」というご意見の方もいることでしょう。
冒頭で断らせていただいた「理解しにくいこと」とは、こういうことだとご理解頂けると嬉しいです。
どこかの浜辺に流れ着いたこの小瓶を、どうか拾ってください。
貴方の元へ届く頃には、中身が見えないほど削れて擦れているかもしれませんが、これを読んで些細なことでも良いのでお返事をください。
この小瓶が少しでも貴方の支えになりますように。