僕が考えた、楽に死ねる方法は自殺手術。全身麻酔を使い、ピストル自殺。僕は医者ではありませんが、まず、脳の部分を切り取り、その後同じく、ピストルで楽に。安楽死法案、何で日本は通らないんだぁ。国が負けると言う意見があります。でも軍隊は仕方ないだろう!普通の戦争でも民間人は・・・。人間の最後くらい、いい死に方したっていいだろう。祖母は、孤独死でした。何日か、連絡無いので、不思議に思い、家に行くと血を吐いて亡くなってた、その最後があまりにも可哀想で仕方なかった。人間の最後は楽に死なせてあげたい。日本の政治家、何でそうゆう事、関心無いのだろう。日本で、安楽死法案通すの結構、夢なんです。僕の世代は作ってほしい。一緒に頑張ってくれる人に会いたい。これからの未来のため、頑張りましょう。
安楽死に激しく同意します。
自分がその年齢になる頃にはせめて、年金受給か安楽死かを選ばせてくれるような世の中になればいいのにと思います。
毎朝、起きる度に、もっと寝ていたい、いっそのこと永遠にこのまま眠っていたいと思います。
自殺するならこの瞬間かなと想像します。
死への誘惑は常に隣にありますが、ふつうに社会人として社会では頑張っています。
周りの人は、私が死にたがってるとは微塵も思わないでしょう。
変な言い方ですが、安楽死という目標があれば、その該当年齢まで頑張れそうな気がします。
別に夢や目標が無いわけではありません、
友人もいるし仲間もいます。
年金いりません。そのかわり、上質な死を迎えさせて欲しいです。
どうしようもない人の望む安楽死というのが存在するというのは分かる気がします。
こないだこの倫理問題を取り扱った映画を見て非常に複雑な思いを描きました。(映画の紹介:「死を処方する男 ジャック・ケヴォーキアンの真実」)
ただ、自分で死を望んでる人には「家族に迷惑をかけたくない」って理由で死にたいという人が結構多くいるんです。
これって心の底では生きたいと思ってるけど、家族に迷惑をかけるよりは死を選ぶということですよね。
これを安易に「死なせてあげる」という短絡的な解決法で解決することは
私は良いと思えません。
安楽死そのものを根本的に否定はしないけれど、
小瓶主さんの考え方はなんとなく「底の浅い」感じがします。
安楽死において死に方を選ぶ、死までを人生として考えるという理念は共感できますが、それは最後の最後の選択肢だと思うんです。
小瓶主さんのおばあ様が孤独死したのも、なんか問題をはきちがえてるように私には思えます。
血を吐いて独りで死んだことはかわいそう。
だけどおばあ様が求めていたのは「安楽死」だったのでしょうか。
「かわいそうだから楽に死なせてやろう」というのは、
あまりにも短絡的で傲慢に思える。
今は痛み・苦しみを取り除く医療が目覚ましいスピードで発達してきています。
ホスピスと言って、もうどうにも治しようのない末期の患者さんの
痛み・苦しみを取り除くことに重点を置き積極的な治療をしない
医療施設もあります。
そうしたところでは特に、命の長さではなく「人生の質」に重点を置いた医療が展開されています。
たとえばいかに家族と最期の時間を充実させて過ごすか、というような。
小瓶主さんのおばあ様に必要だったのは、そういう最期の迎え方じゃないのかなぁと思います。
それから、問いかけの本筋とは少しずれますが大切な話なので
「誰が(安楽死を)行うか」という話も。
先にお返事されてる方も触れられていますが、積極的尊厳死を認められている国においても、自分の手で他者の命を絶つことを拒否するお医者さんはたくさんいて、それで安楽死したいと望む患者さんがたらい回しになっていたりもするようです。
実際問題として「誰が」「死の引き金を」ひくのか。
これも考えていただけるといいかなと思います。
日本に限らず、政治家が人の生き死にに関して意見を表明したがらないのは
どちらかに意見を表明すれば、反対の倫理観を持つ人に叩かれる(=投票してもらえない)ことが必至だからです。そして、叩かれるけれども自分に利益を得られないからです。無関心、とは少し違うかもしれませんね。
私も、意見表明をしてもらいたい、というところは共感します。