「この子ちょっと変わってる…」
そう思っていたけど、
意識して避けたこともなく、
特に関わることもない子がいた。
だけど、その子と同じ場所に所属することになり、共に活動することになった。
約2年間。
話してみると、意外と明るくて、おしゃべりだった。
人見知りしやすい私からすると、
「おしゃべりな人」は一緒にいて楽しい人。
しかし、2年の間で、
少しずつ「やっぱりこの子変わってる」と
思ってしまうエピソードの方が増えていく。
あるとき、この子がトラブルを起こし、
所属する場所の責任者に呼ばれ、
今後の対応を考えていたとき、
こんな話を聞いた。
「あの子の様子を見て、病院やカウンセリングに行ってみることを勧めたが、何ヵ所か行っても医者の話を信じられないらしい。」と。
この話を聞く約二年前、
私やこの子以外の所属メンバーは、
責任者から
「この子の言動に対しておかしいと思っても指摘してはいけない。でも、仲間として接してくれ。」という指示を出されていた。
だから、無理矢理、自分を抑えて
周りのメンバーも自分を抑えて
すべてこの子に合わせて接してきた。
しかし、「こんなの仲間じゃない。」
仲間だったら、間違ってると思ったとき、
言い方はもちろん考えるけど
ちがうんじゃない?って言ってもいいのでは…
私は矛盾した行動を取らなければならないことにどんどん疲れていった。
そして、矛盾していると思っても、
私が思う「仲間」としての接し方はできないから、次第に自分を抑えるのが当たり前になった。
これを2年間続けてきたけど、
この子がまたトラブルを起こしたとき、
私たちに限界がきた。
責任者に伝えた。限界であることを。
「もう気にしなくていいよ。」
私は一瞬、「間違っていたら指摘することも含めて」気にしなくていいのかと捉えた。
でも、「おかしいと思っても指摘はしてはいけない。」という言葉が続いた。
私はこの子から「普通の友達のように話してもいい人」として扱われている。
おかしいと思うことを伝えてはいけない相手なので、私からしたら「仲間」や「友達」だとは思えません。
だけど、「友達」を演じてきました。
残酷なことをしていると思います。
だから、責任者から「もう気にしなくていいよ。」と言われた後なので、演技は辞めます。
でも、おかしいと思っても指摘もしません。
私たちは「仲間」にも「友達」にもなれなかった。それまでの関係だったんだと諦めます。
私には、友達が他にもいますが、その存在がありがたくて仕方ありません。
ちょっと言い過ぎたと思っても、
ツッコミを入れて笑いに変えてくれる。
なんて幸せなんだろうと、その友達と一緒にいるときに言いました。あまりにも幸せすぎて。
「友達」になれなかったあの子とのことは、
まるで犯罪を犯したのではないかというくらいの罪悪感があります。(犯罪を犯したことはありませんが。)自業自得です。
「良い人でいたい。」
無意識のうちにそういう気持ちが働いていたと思います。
今回のことは、この気持ちに負けた私の弱さも悪かったんだと思います。
ごめんなさい、苦しくて、
たくさん書いてしまいました。