幼い頃の愛情不足と贔屓が成人になった今もじわじわと苦しめられている。異常な家族。
地道に毎日勉強をして部活に励み、成績優秀で部活でも地区大会で準優勝出来るほどの努力家だった。
片親の母に迷惑をかけないようにと全て頑張ってきていた。
片親でも育ててくれた恩返しをするんだと思って頑張った。この考えは浅はかだった。
母は弟しか見ていなかった。
習い事を勝手にバックレ、1回も宿題をやった事がなく、頭が悪い上に友達ができたことがないどうしようも無いやつ。弟の欲しいゲームは何でも買ってあげる。そこまでは良かった。
私が高校に上がって、周りの人全員が当たり前に持っているスマホを買ってもらうことが出来なかった。
スマホが買って貰えなかった私は他の人の話題に馴染むことが出来ずに本当に辛かった。
弟にはゲームを買ってあげるのに。私の方が迷惑かけないように頑張っているのに。
私はバイト禁止の高校だったのに、母に電子レンジの皿を投げつけられ、馬乗りにされて怒鳴られ、脅迫をされた。だから生徒指導室で親が貧乏でお金がないのでバイトの許可をくださいと泣きながら懇願した。
プライドも何もかもズタボロだった。今でも思い出しては泣いている。
バイトが決まり、やっと手に入れたスマホは2Gしか使えないスマホだった。インターネットを少し見ればすぐに低速になる不自由な環境だった。
貧乏な我が家はWiFiなど持ち合わせていなかったので、私の青春はドブに捨てたようなクソみたいな生活だった。
弟は勉強も宿題もしないまま高校受験が始まった。
でも親の払う金はどうでもいいと言わんばかりに私立高校に入る気でいた。迷惑をかけまいと努力する気がなく図々しい態度でいたのだ。
田舎では私立高校はお金がかかる上に底辺の行くところだった。腹ただしかった。
それでも母はこんな弟の方が愛しているのだ。
弟には入学前からスマホを買い与え、通信制限もなく快適なものを与えた。その上バイトもさせようと私に振るった暴力と脅迫も無く、悠々自適に暮らしやがった。
私だけが脅されてバイトをし、不自由な暮らしをしていた。遅い時間にバイトから帰ったら、夕飯は全て弟に食べられていた。残ったのは夕飯の食器とまだ回されてすらいない洗濯物の山だった。
弟には何も言わず、なんでも買え与え、家事をやらないことを弟ではなく私にキレ散らかす母親。私のメンタルはとうに限界を迎えていたのだ。うつ病を患った。
あからさまな贔屓と待遇の差。
小学校の頃から母には芋女、デブ、おばさん(笑)と言われてきていた。弟にもだ。
今なら気軽にインターネットを見れるため、この環境が異常だと言うことに気がつけた。
これら全ての出来事は成人してからもずっと引きずって呪いのように頭に焼き付いて離れない。
自分を肯定できるものは何一つなく、残ったのは全てのことを他人と過去のせいにし、努力もできなくなったどうしようもなくクズな私。
そして元々私は産みたくて産んだ訳じゃなく、孕んでしまったから仕方なく産んだらしい。さっさと堕ろせば良かったのに。
壊れた私の心は帰ってこない。幼い頃に出来なかった自己肯定感はマイナスまで突入している。
時間が鬱で壊れた高校の時から止まって何も成長できない。愛されたい。でも人は怖い。
どうかあの頃の努力家でまともだった私が帰ってきますように。