昔より増えたわけじゃないと思う。
前からいた人が、認知されてきただけなのでは。
ネットが無い時代は「私はこう思っている」と発信することも、同じ気持ちの人と繋がることも出来なかった。
つまり、苦しんでいる人が声を上げる場所が無かった。
昔の物語や和歌、戦時中を生きた人の手記などを見ると、悩んでいる内容は今の時代とまったく同じ。家族、友人、恋愛、仕事とお金、自分への自信のなさや自己嫌悪。共感できるものばかり。
ピラミッドには「今時の若い者は」と書かれていたらしいし、源氏物語にはありとあらゆる恋愛失敗談が出ているし、哲学者や演劇の詞は耳の痛いことをガンガン言っている。
それがネットが普及し、弱っている人の居場所が出来た。学校や職場に行かなくても、外に一歩も出なくても、自分の気持ちや意見を言えるようになった。
そこにしか居場所がない人が、そこにネガティブな言葉をどんどん送りこむ。実際は幸せな人もいるけど、幸せなことを言うと「幸せアピール」「苦しんでいる人もいるのに不謹慎」と叩かれるから言わない。
結果、ネガティブな言葉だけが量産され拡散され共感され、ネガティブな環境にいる人ばかりのような感覚になる。
凄惨な事件もね、知られていなかっただけで、昔からあったのですよ。
レイプが当たり前とか、長男長女以外の子供は奴隷とか、障害者をずっと座敷牢に入れておくとか、生まれつき障害のある赤ちゃんを間引きしてしまうとか、酷な風習もあった。津山三十人殺しとか凄まじい事件もあった。海外だって猟奇的な犯罪の歴史はいくらでも残っていますよね。たまたまバレていないものだってあるでしょう。
今の日本は閉塞感…というよりは、窮屈な生きづらさを感じる人はいつの時代もいたはずだけど、その叫びが公になりやすくなった、ということだと思います。