二通目です。話したいことを交えて捕捉を。
なんていうか、比べるに関して自分は主さんと少し違う考え方で、確かに言われている通りテストとか特定の条件を同じくした時に比べられるんだけど、実はそれもある意味正確じゃないんじゃないかと思ってる節があってね。
点数って目に見えるものがあるけれど、それが出るまでの、勉強の仕方や時間やら、勉強をするしない、打ち込む時の気持ちとか、頭の使い方、覚えるやり方、当日の緊張感や思い出し方、書いた後にしても先生の採点の仕方、採点する時間、と適当に書いてもこれだけ違いが出るし、そもそも生きてきた時間や積み重ねてきた土台がそれぞれ違うんだから。
って、どんだけ細かく考えてんだめんどくせえ!みたいな(笑)そこら辺は、培われた、培われていく価値観もあるし、人によって全然違うし変わっていくかもしれないし、同じだってこともあるかもしれない。
で、すこし脱線したので話を戻すと、似ていたとしても、細かい所で違ったりして、それ(自分的には上のやつを)をわかっておく、と。
まあ、それでも優越感やら劣等感を感じる人は感じます。あ、自分もそういうタイプね(笑)
だからたぶん、認識だけでスッとリスペクトってのは、難しい人には難しいんじゃないかなあ。
けれどそこで、わかっておく。と、優越感やら劣等感を感じたままで終わらず、今どっちに傾いてんのか、それとも中間にいたりすんのかわかるかもしれないし、その上でそれをどんな風にしたいのかその時の状態を考慮しつつまた考えられんじゃね、ってことを言いたかったんよ。
ちなみにそれを続けていけば、凄いだとか悪いだとかじゃなくて、相手も自分も凄い所も悪い所も見えるし尊敬できる、みたいになるんじゃないかと個人的に思ってます。
優越感も劣等感も、比べる比べないにしても、それ自体が悪いってことはないと思うんで。
あと、ここだけの話、間違えて書き込み途中で2回ぐらいお返事流すボタン押しちゃったので、お手数かけますが運営さん、これを流してく下さいな(マジですみません)
【小瓶主さんからお返事きたよ】
二通目さんへ
お返事ありがとうございます!
「比べる」ということに関しては、本当は「正確に比較できること」と「そもそも比較不可能なもの」のいずれかしかないのだろうと思います。
たとえば、テストの点数自体は比較できるけど、どちらがより頭が良いかは比較できない。年収自体は比較できるけれど、どちらがより幸せかは比較できない。
わたしは本当は比較できないものを比較しようとしてドツボにはまってしまいがちなおばかさんなので、そういう意味で「比べない!」とか宣言しちまったのです笑。
二通目さんの言う「ただ違う」という感覚はとても大切だと思います。その感覚があれば、優越感や劣等感が出てくることなく、スッと相手をリスペクトできるのでしょう。
そんな風にしなやかに生きていけたらすてきだなあ。