友達が妊娠しています。
私は子供が嫌いで友達間でそのことは公言してきましたが、素直に友達が幸せになって嬉しいしとても喜ばしいです。
それは絶対に嘘でも虚勢でもないです。
でもふと、ああ後何ヶ月か後に彼女は出産という大きな体験をするんだ
今はお腹が大きい彼女、として見れるけれど、それがもうすぐ彼女ともう一人、になるんだ
と思うと、なんだかもう二度と自分なんかが共感したり出来ない、遠い存在に思えてさみしいような…さみしいとは全然違うような…なんとも言えない感情になります。
こうして書いていて気付いたのですが、多分それは彼女と私の関係どうこう、というより現状の自分に対する気持ちのような気がします。
自分だけ進めていないような、立ち止まってしまった。という気持ち
未だにフリーターで、分かりあう人もいない、何にも必要とされない自分、何かに一生懸命になることも成長することもない自分。
さみしいんじゃなくて虚しいだけかもしれません。
こんな自分が虚しくて、勝手に取り残された気になったのかもしれないです。
みんなみんな眩しい。
私は何て恥ずかしい人間になってしまったんだろう。
どんどん卑屈になる。クズになる。
もう自分でもどうしたらいいのか分からない
どうしたいのかも分からない
親でさえ私のこういう暗い話はうんざりのようで、もう誰にも話す人がいないので小瓶にしました。
吐き出さなければどんどんエスカレートしていきそうで怖くて、文章を考えずに打ったので支離滅裂ですみません。
【小瓶主さんからお返事きたよ】
小瓶主です。みなさんお返事ありがとうございました。
自分の中に何もないような感覚、というのは常にあって、何もかも足りないような感じ、全部を落として来てしまったような、全部に置き去りにされたような。
妊娠した彼女を見て、憧れもしなかったし羨ましいとも思わなかった。ただ、着実に未来への階段に足をかけていく彼女が眩しくて、そしてそれを何てことはない自然な喜びとして受け入れている彼女が遠くて、自分の今までの人生には何もないような感覚に陥って切なかった。
自分の人生には何も存在しないこと、私はこれからもこうやって生きていくのかって。
物事を重く考えすぎなのは分かっているんですけどね。
でも、こうして普段なら誰にも受け入れてもらえない、まるで存在しなかったみたいな気持ちが、宛メのおかげで誰かに知ってもらえて存在することが出来て、それだけで私はこの小瓶を流してよかったと思えました。
私のこんな気持ちに返事を送ってくださる方がいたことが嬉しいです。
読んでくれてありがとうございました。