忘れてしまうことを忘れないでいること
この赤色のシャツを
買おうと思ったのはどうしてだ
二人しかいなかった部活に
参加しようとしたのはなんでだっけ
勇気を振り絞って言ったセリフと感情を
思い出せないのはなぜだろう
夏にチョコレートが溶けていくように
冬に葉っぱが落ちるように
振り返るたびすりガラスが一枚
後ろに増えていくんだ
あの時の気持ちをフリーズドライしても
真空パックしても駄目で
文字や絵に残したら少しは
時間に抗えるけど
顔も景色も声も手触りも全部
最新版に更新されていく
どれだけ魔法をかけたって
アルバムのページは朽ちていく
永遠なんてないよ
ぼくらの脳がコンピュータでない限りは
それは悲しい事だけど
悲しいだけじゃない
何となく寄った食堂の味噌汁で
あんまり得意じゃなかった味を思い出したり
何となく会いづらかった知り合いから
かかってきた電話についひとり微笑んだり
嫌だったことが沢山あった場所を
少し懐かしく感じてしまうのはなぜだろう
忘れられない思い出もあるよ
大体それは捨てたいものなんだけどね
だけどそれこそ魔法のように
勝手に都合よく美化していく事も
できるのは脳がコンピュータではないからだ
あのころの自分にきいてごらん
全部つまらないとか退屈とか最悪って悪態つくだろう
一マスずつしか進めない人生ゲームのように
これからの出来事はもう決まっているのかもしれないが
これまでの出来事は案外
変えてしまえるのかもしれない
素晴らしい妄想の世界だ
人間が全部覚えられなくてよかった
『懐かしさ』の微妙な絶妙さは機械には味わえない
でもたまにでいいよ
だって僕らが生きているのは未来でも過去でもなく
今認識できるこの瞬間だけだ
一生懸命だったら当然
古いものは上書きされていく
忘れていくのは魔法でもなんでもなくて
毎日生きている証拠だ
そもそも毎日高級品ばかり食べてたら太るからね
今考えていることもきっと
明日になればぼんやりしているから
忘れてしまうことを忘れないように
先にハンガーに赤いシャツをかけてから眠るよ
願わくば今日のこの日も
いつか懐かしいと笑える日が来ることを
おわり