いじめや嫌がらせ、差別、意地悪などで人を傷つける人は、傷つけられた人よりも人生が充実しているように思えてしまいます。
こどもの頃によく耳にした、「意地悪な人は、ろくな人生おくれないよ。」という言葉は、、意地悪された側への気休めかと思います。
私は意地悪してきた人が憎いです。笑ってきた人が憎いです。知らない人からからかわれたりもしまさかた。だからそういう人達は不幸になって当然、というわけではありませんが、家庭を持ったりして幸せになっていることを耳にすると妙に納得がいきません。私は心が狭いと自覚しています。私だって少なくとも、言葉で人を傷つけました。
ただ、あからさまに度を超えた意地悪なひとが許せません。
深い傷をつけられた人は、一生傷を背負っていくのに、そんなことは知らずにへらへら笑って生きているのですか。いつ、その人を傷つけたことに気づいて反省するのですか。
傷つけられた人は、どうしたらちゃんと幸せに笑って生きられますか?
私は3通目さんの言葉の意味がなんとなく分かる。私も過去に色々あって人間不信気味なんだけど今何らかの関わりで関わっている人は根本的な中身はよくは分からないけど少なくとも今まで過去、私を傷付けてきた人とは違う人間である事だけは分かる。
何度も何度も傷付けられると人間そのものを信用できる器量なんてものは無くなっていくんだ。だけど私を大切に思ってくれている人ってのは自分でも分かっていたりする。そうした人を私は大切にしていければ良いやって思ってから、皆に好かれたいすら思わなくなって、少し生きるのが楽になりました。
だからもう嫌われても気にしないぐらいの度胸の強さにはなりました。結局は皆に好かれているなんて事は無いんです。だから大切に思ってくれている人が一人でもいたら幸せなんじゃないですかね。数はあまり関係ありません。