小瓶主です。
なるほど。人によって、いろいろな考え方があって、面白いなあと、思いました。
お返事読ませていただいて、
やはり、人間の価値というのは非常に推し量ることが難しいと思いました。
それこそ価値観という言葉があるように、
人によってなにに価値を見出すか、
どのくらいの価値を感じるかというものには
個人差がある。
自分にとっては価値のある人であっても、
別の人にはそれほどでなかったり。
つまり、自分が存在して、誰かと関わって誰かと支えあい、暮らして行く中で、
そのような関係の上にある、他の誰でもない、たったひとりの自分ということ自体が、価値ととらえてもいいのかなと、思いました。
人間の価値はそもそも比べたり、はかったりするものではなく、
価値があるように感じたりないように感じるのは、自分がその事柄に価値を見出しているだけであって、それは時代や時と場合によって変わり得る可能性がある、きわめて不安定なものだったりするのかもしれない。
つまり、人間の価値っちゅーのは、
人間である以上、全ての人に平等にあるのかもしれない。
と、思いました。
人の価値は3つの柱があると思います。
命の価値。これは倫理的に見れば平等。
存在の価値。家族や友人にとって有益かどうか。
実績の価値。後世に何かを残したか。
最も大きいのは、実績の価値だと思います。
ノーベル賞をとった発見や技術、素晴らしい建造物や芸術作品は、百年、千年経っても残る。博士や作者の名前も残ります。
残るという事は、たくさんの人が価値を認めて、次の世代に大切に伝えたということ。そういうものを残した人には、やはり価値があるんじゃないでしょうか。
私生活が荒れていた偉人も、確かにいます。
しかし、実績の価値と違い、存在の価値というのは、生きている本人に関わった人が全て亡くなったら消失します。あなたも、おばあちゃんの事はよく知っているけど、その上のおばあちゃん達はほとんど名前も知らないですよね?誰の記憶からも消えたら、その存在は消失するんです。
乱暴な言い方をすると、あなたが言う「ノーベル賞をとったDV博士」は、DVを受けていた被害者が全員亡くなった後は、「ノーベル賞をとった博士」になるわけです。DVは研究成果とは関係ないから、マニアでもない人は知ることもない、ちょっとした雑学になって終了。そういう雑学は受け継がれず、やがて時間と共に忘れられてしまうこともあるでしょう。
実績が受け継がれている年月の長さで、価値は決まると思います。