苦労は買ってでもしろ、は肯定していますし、実行もしている派ですが、苦労を美徳とはしていません。負荷をかけ、ギリギリまで追い込み、他人が楽をしていたいからだと分かっていても寝る間を惜しんで行動し小さな自己満足を得る。それを自らの喜びとして感じていたので、苦労だとは当時、感じていませんでした。理不尽とも思って無く、こんな大変な思いをしているのだから、どれだけレベルアップするのだろう、とワクワクしていた記憶があります。そのお陰で、10年後には、突然、燃え尽き症候群に陥り、自殺ばかり考え、笑顔が全く消えた味気ない時間を長く過ごすことになるとは想像出来ていませんでしたが。苦労と苦痛も違う気がします。身の為になると感じて受けている経験は苦労だとは思いますが、苦痛では無かったです、少なくても自分は。でも周りの方を見ていると、何が大変?と感じることであっても、苦痛を感じている人がいるので、人、それぞれなんだと思っています。苦痛の共有をさせたがる方は身近にもおります。でも、同じ境遇となっても、自分は苦痛だと感じない自信があり、無意味だな、と思っています。きっと、同じ境遇で同じような苦痛を味わってくれたら、自分の気持ちも救われる、共感してもらえる、慰めてもらえる、と勘違いしているのかな?とも思ってやり過ごしています。その方は、よく他人を羨ましがっています。自分が世界一不幸だと、どうせ、誰にも分かって貰えない、この苦しみは、を言い続け、聞かせる方が経験するより辛いとも感じます。苦労は買ってでもしろ、はやっぱり自分にとっては今後も感じ続け、行動し続けると思います。苦労を共有して欲しいとか苦痛を共有して欲しいとは思ったことはありません。経験的に、程ほどに、とは思うようにはなりましたが。
私も苦労を強要してくる人に目をつけられてしまい、
SNSでしつこく説教されたことがあります。
その方自身が今まさに苦境にいて、
そんな中で私がラクばかりしてる風に見えたようで
お前も苦しめ!と言わんばかりに
「誰にも頼れない環境に移れ」とか
「周りに迷惑かけてるの分かって」とか
的外れなアドバイスの数々に困ってしまいました。
ちなみに実際の周りの人は
私が迷惑をかけているとは思っておらず、
「そういうこと言う人の話は聞かないほうが良いよ」
と言っていました。
この方以外にも苦労を強要してくる人が
何人かいましたが、
「乗り越えれば人間的に成長できるから」
という もっともらしい理由をつけて
ただ単に私を良いように使いたいだけだったり、
相手の思い通りにならなかったときに
「お前なんか苦しめば良いんだ」
と呪いのように吐き捨てられたりと
大抵の場合は相手の自己都合によるものでした。
「苦労は買ってでもしろ」は
苦労を売る側に都合の良い言葉だと思っているので、
小瓶主さんの主張には私は同意します。