「弱いくせにやる気ある奴は雰囲気を乱す」
「あなたは休まないし、遅刻しないから存在感がない」
「存在感ない先輩に挨拶する必要はない」
「ブスだから嫌い」
こんなこと言うあなたは本当に教師なんですか?
本当に保健室の先生なんですか?
保健室って最後に逃げ込める場所ではなかったのですか?
しかも先生は最後に逃げるなって言った。
それを言って良いのは第三者ではないですか?
当事者が言う言葉ですか?
それとも私が間違っていて、弱い人はやる気があってはいけないのですか?
でも、ここは学校の部活ではないのですか?
やる気ないのは論外ではないのですか?
やる気ないのにどうやって強くなれば良いんですか?
方法があるのなら教えて下さい。
休まないこと、遅刻しないことは悪いことなのですか?
無断欠席、無断遅刻して得た存在感に不名誉なだけではないのでしょうか?
それとも、そこまでして存在感を得る必要があるのでしょうか?
存在感ある、なし、先輩、後輩に関わらず、挨拶は必要ではないのですか?
ましてや、挨拶を無視するのは悪いことでないのですか?
容姿で人を判断することは駄目だと先生は仰るのに自分だけ例外なのですか?
確かに容姿で印象が左右されることは仕方ないことだと思います。
けれど、それを思うのと口に出すのでは全く異なることでないのですか?
まして、先生という立場で。
それとも、醜過ぎれば仕方ないのでしょうか?
もう退部してから4年も経つけれど、卒業してから1年近く経つけれど、未だに私の中で燻り続けています。
私の問いに、答えて下さい。
昔から、保健室に居る教諭は、意地悪い人が多い。
数十年も以前には、養護教諭と云うよりは、「竹槍訓練の指導に来た」とでも云うような言葉が似合う、些細な事で、直ぐに雄叫びを揚げる年配の女性が保健室の教諭だった事もある。誰も、保健室には、近づきたがらなかった。
現在では、自分がその数十年以前に出会った、戦中派の様な女性の教諭と同じくらいの年齢。自分も、やはり自分自身が若かった頃の感覚を引き摺りながら生きている。(私は竹槍訓練は知らない世代ですが)
人は誰でも、自分の主観を基準にして考えたり発言をしたりするから、いくら周囲の大人であっても他人は他人。自分が、他人の主観に振り回されて、疲れる思いは、しない方が自分にとっては、得な生き方。自分を傷つけたり、痛めつけた相手は、最低限の必要な要件だけの関係か或いは、表面で調子だけ合わせて、それ以外の事は自分の心の中からバッサリと切り捨てれば良いと思います。