私はいつまで自傷を我慢できるだろう
カッターを握って落ち着くのを繰り返せば、それはいつか癖になる
私は結局、自分の行動をコントロールできないことを一番怖がっているのかもしれない
例えば、瘢痕の中で一番規模の大きいものは養護教諭をおいて『縫合しなければならないレベル』と言わしめた
あれは父の不信を目の当たりにしたことがきっかけだったか
私がそんなに思い切った行動をしたことを父は今でも知らない
見せていないのだから当たり前である
冤罪だと私は分かっているけれど、父の行動は私が何か言う前に終わっていたし、彼はその原因を私だと断定していた
そういえば直接の原因は、未練がましくも父を信じていた自分を罰するためだった
刃を握ったとき私は強く『罰を与えなくてはならない』と考えていた、それ以外を考える余裕などなかったのだ
二度の手術痕よりもその自傷が幅広く残っている事実は私しか知らない
流石にお医者さんはプロだ、すごい技術だなぁと感心する
どこか他人事なのは仕様である
話は逸れるが、思い出したから書いてみる
二度目の手術の直後、執刀医の先生が声をかけてくれた
「長い時間、よく頑張りましたね」
それに対して、私は
「頑張って下さったのは先生方です。私は何もせずに寝ていただけですので」
と返した。麻酔が切れず意識が朦朧としていたのに、何故かこのくだりだけはしっかりと覚えている
癒着部分を裂いた痛みと、きついリハビリの中でも『私はどうして第三者の目線で話すことができたのだろう』と考えていた
先生の唖然とした顔が興味深かったからだろうか
物にも周囲の人間にも八つ当たりしたくない、その一点だけが私を支えている
だから『腕の傷が全て消えるまで新しく自傷はしない』のを守り続けられた
それでも、一度だけ誘惑に負けたけれど
血が出なければカウントせずに済むと言い聞かせて傷を入れた
自傷以外のストレス発散方法がしっくりこないまま成人した私だ
やはり、自分に合っているのだと再確認した
それからこのかた、繰り返さないことに細心の注意を払っている
ボロボロだろうが自分に課したルールも守れないほど落ちぶれたのだと思いたくはない
八つ当たりしたくないから家庭内暴力にはならない、だけど私は私自身の夢中さを恐れている
私は断じて嗜虐愛好者ではないが、(縫合の必要がある自傷痕の場合は結果として満足できたから良かったものの)自制しないことは欠陥以外の何者でもない
自分でも手を焼くあの衝動を抑えるためにカッターを握る癖をどうにかしなければならないのだろうが、現状、それ以外の方法を私は見つけられないままでいる