日記みたいになってしまっていたら申し訳ない。
でも、まあ緩和剤みたいな手紙にでもなればいいかなと。
最初のところだけでもぜひ読んでいってください。
なにから始めようか。
そう、最近、メダカを飼い始めた。
ボウフラの湧くこの季節にはもってこいだ。
そういって母が買ってきた。
母の言うとおりである。うちの狭い庭には、二つ金魚鉢が置いてあって、雨が降ったらそのまんまに放っておいて誰も気にかけなかったから、水が溜まっていた。しかしなにかしら生き物が住んでいるわけでもなく、つい最近まで水草が生い茂り蚊が卵を産むだけだった。
前も何回か飼っていたのだけれど、台風のあとにいなくなっていたり、近所の野良が勝手にとっていったのか、晴れていてもいなくなったりしていて、なんとなくメダカに申し訳なくて、飼えばいいのにと言い出せなかった。
まだ蚊がいなくなった実感はわかないが、やはり生き物は可愛いもので、家を出るときと家に帰ってくるときにちょっと覗いてみたりしてしまう。
このメダカたちは外に置いてあるので、そのままにしておけば蚊が勝手にやってきて餌を産み落としていってくれるのだが、ペットショップかなんかで新しく餌を買って与えれば、子供をつくるそうだ。母はそれを楽しみにしている。メダカの赤ちゃんは、私も見たことがあるが、小さくて、大人のメダカよりもかわいいのだ。シラスにできそうなあの感じ。見たことがある人はわかるのではないだろうか。
生き物といえば、おととい従弟がカブトムシを置いて行った。祖母と同居しているので、よく遊びにくるのだ。
従弟の家族が、この三連休で向こうの親戚のほうに行くらしく、世話を頼まれている。
しかし全く動かない。これはどうしたものかと母と一緒にネットであれこれ検索してみたりして、土の量が少ないだの隠れるものが必要だだの、いろいろああだこうだ言っている。しまいには、明るすぎるのがよくないのかもしれないと、夜の時間には窓のサンにおいて、カーテンで光を遮るなどしている。
このカブトの持ち主である従弟よりむしろ私と私の母のほうが気にしている気がするのは、気のせいだろうか。
まあいい。
カブトムシなんぞ見るのが久しぶりすぎて、その大きさに驚いてしまったのだが、何しろ動かないので虫嫌いの私でもあまり怖くない。
死んだか?と思うとたまに動く。宛てメの皆さんにもこいつのようにしぶとく生きてもらいたいものである。いや、すでにしぶとく生きている方もおられるのか。まあ、いいや。そこはご自由にどうぞ。
生き物が増えたのは、やはり夏だからということなのだろう。
ゴキブリもよく見るようになったが言及はしないでおこう。ちなみに私はゴキブリが嫌いすぎて、殺し方をくまなく調べたせいで、ゴキブリの生態について割と知ってしまっている。悲しきかな。対処法として一番おすすめなのはホウ酸団子だ。詳しいことは検索してください。
そしてしばらく話にのぼった母のことだが、明日、いや、日付が変わったので今日から、入院する。
卵巣に腫瘍があるらしい。
特に大きな病気などではなく、万が一、腫瘍が悪性の場合を考えて、撤去しておくというものなので、安心してもらいたい。重い話ではない。
悪性の可能性はとても低く、また、手術も一時間ほどで済む軽いものであるらしい。成功はするだろうと医者と母を過信して、あまり心配はしていない。おそらく一番不安なのは母だろうが、あまりに私は何もできていないので申し訳ない。
不安を和らげるようなことをもっと言ったほうがよかったのか。それとも私がやったように、いつもと変わらないように接したほうがよかったのだろうか。今となっては遅いというか、明日と明後日があるので、まあ大丈夫だろう。明日、たくさん手を握って、ぎゅっとしてあげるのだ。
日本に住んでいると実感しづらいが、人の肌というのはとても心地よいものである。親しい人にハグをしてもらえると私はとても安心する。肩をたたいてくれるだけでも、ああ、と思える。上から目線で言ってしまってはいるけど、母にも安心してほしい。私がハグをすることで母の不安が少しでも減れば万々歳である。
どうか、うまくいきますように。
生き物たちは己の生に、母は手術に向き合う中、私は私で、向き合わねばならないことがある。
テストと、自分自身の惰性と、将来の話だ。
明日、定期試験が一つある。向き合わねばならない。しかし苦しい。全く勉強ができないまま午前一時になってしまった。
今日以前にあった様々なテストや提出物も、完ぺきではない。一応、単位が取れるまでにはしてあるが、ある程度の点数は将来のためにもほしい。しかし筆が、手が、体が動かない。
どうすればいいのだろう。
このまま「努力する」ということを忘れたまま大人になってしまうのか。それは嫌だ。
久しぶりに宛てメを開いてしまったのが運の尽きと責任転嫁してみる。
しかし一番は自分の気持ちだろう。それはわかっているのだ。自分がやらねば。自分のためなのだから。
自分と、自分の将来のためと思っても、どうしてもできないのは、覚悟が足りないのだろう。
人間、長期的な計画を立てるのは苦手らしい。でもそのことにいつまでも逃げていられるわけじゃない。
覚悟が足りないからと、滝に打たれたって山に籠ったって、結局変わらなくてはいけないのは自分なのである。
だから、頑張れ私。頑張れ。頑張れ。
もっと、いろんなことに必死になれ。変われ。変わるんだ。
大丈夫だ。私なら、できる。
私なら、できる。