拘束がとても嫌いです。
昔から、とにかく拘束されることが嫌いでした。
人の感情の動きや悪意にも鋭く、集団の中にいることも嫌いでした。
この二つが重なり、学生時代も高校生半ばで終わり、その後も働く辞めるを繰り返し、長い空白期間も加えて、いい歳までそんな状態でした。
そんな私でもなんとか週2日、3日の労働から体を慣らし数年後、気づけば週5回、一日8時間労働の非正規職員となれました。
頑張ったつもりはありませんが数奇な縁もあって、本当に気づけばそうなれていたという感覚です。
別に奮起してそうなろう思ったとか、そうなりたかったとかは全くありません。
自分の辿ってきた道を今こうして書いてみれば、「ニートからの脱出劇」という、人受けする話にはできるのかもしれません。
ですが、個人的には「強要」されただけだと思っています。
個人的なプライドと、社会的な見栄。原動力はたったそれだけでした。
社会的に「労働者」は一般的で、労働は尊いものとされているので、「働いてさえいれば誰にも文句は言われない」と、本当にたったそれだけでした。
しかし、そうなって一つ所で十数年働いて、そろそろと耐えきれなくなってきました。
職場は全てが法に触れないギリギリ水準で保たれており、グレーではありますが私にとっては悪くはありません。離職率が高いせいか非正規であっても長年いるベテランではあり、その立ち場が手伝い人間関係も普通です。
初老にして手取りは20万とありませんが、自分の性分がわかっていたので、家や結婚、車など、そういった贅沢は全て切り捨てて歩いてきました。生きていくためだけになら、それほど問題はありません。
ただ――週5~6日、一日辺り、出勤に関わる全ての時間を含めれば10時間以上。その拘束による摩耗に、いよいよと精神的な限界が来ているように思うのです。
学生時代同様、私にとって労働はただの「拘束」であり、どんなお褒めの言葉をかけられても「嬉しい」などと思うことはありませんでした。
どんな苦難を乗り越え成果をあげようと「達成感」などはなく、やっと帰れるという安堵と、長い拘束による苛立ち以外はありませんでした。
ましてやただの一秒も、労働に「楽しさ」や「喜び」などは感じたことはありません。あったのはただ、ストレスです。
今更、労働を辞めることはできません。
十数年いたとはいえ今の職場を離れることには何も感じませんが、辞めてどうするという問題です。
「ゆっくりと休む」に理解が得られる人間ではありませんし、親もそろそろと、ニートだった頃の私と立ち場を逆にする年齢です。先に家を出て行った兄弟もあれば周りには親戚も多く、生活保護などは夢のまた夢……私の離職は周囲に迷惑をもたらし、私を精神的に追い詰めるだけに終わるでしょう。
長い拘束に耐えられない、それがわかっていたために、正規職員への誘いや管理職への誘いは断り続け、結局なんらのスキルも持ちません。独立できるような能力はおろか、再就職もよほどのブラックでない限り難しいでしょう。そして再就職できたとして…… 今の繰り返しです。
ひどく、贅沢な悩みです。
生きていくにはなんの問題もないのです。時には先の労働期間を考え、「こんな地獄が続くくらいなら」と思うこともありますが、それ以上に踏み込むような勇気は持ちません。無駄に臆病で踏みとどまる力があり、きっと死ぬ時は、もう肉体的にも働けなくなった時でしょう。ずるずると、ずるずると――「労働」し続けることでしょう。年老いた、最期のその時まで。
そんな自分があまりにも滑稽で、あまりにも哀れで、結果を変えられる要素が努力しても見つからないことが、もどかしいのです。
切迫したお悩みばかりの中、このようなお手紙を流してしまい申し訳ありませんでした。
我がことながら、読む人が読めば「十代や二十代のころに解決してろよ」と言い捨てられるに違い無い内容だと思います。
ですが様々な「仕事に関する悩み」などを見聞きするに、その「悩み」は人間関係、職場環境、待遇、面接、求職など――切迫していてかつ具体的で、「すでに働いている、働けているのに悩み続けている」という人の想いが、少しばかりないがしろにされてしまっている気がしたのです。
ネット上に置かれている「解決のための~」というような小さな記事にしても、大きな経済メディアの記事にしても、私のような悩みをもつ人間は疎外されてしまっているように感じたのです。
「具体的」になにかを変えようとも変えられるものではなく、「仕事にこう取り組めばいい」と言われても「労働」自体が苦しい。求めているものはそんな文章じゃない。
解決できる何かじゃなくても、もっと共感のできる、誰かの書いたものを読みたい―― そんな人はいっぱいいるはずで、私がそんな悩みをもつ一人として、ここにこの「贅沢な悩み」を書くことにしました。
妙なお話ですが、「悩み」を書いておきながら答えは求めていません。
解決の難しい問題ですし、誰かから答えがもらえる――そんな期待ができる内容ではないと思います。
でもいつの日が、答えが見つかるといいなと、そう思いながらあがき続けてみます。
これを読んで共感してくださった方がお一人でもおられるのであれば、どこか遠くで一緒にあがき続けてくれたらいいなと…… そう願っています。
いつの日か、「労働」ではなく…… どんな形でも、心の望む「仕事」をしましょう!
お読みいただき、ありがとうございました。
78807通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
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お返事が届いています
たくさんのお返事ありがとうございます。
答えは求めていないとしていましたが、それでもヒントを示してくださったみなさんに、深く感謝したいと思います。
また、共感してくださったみなさん、やはり同じような思いを持つ方がいるのだと知ると心強くあります。
温かい心遣い、重ねてありがとうございます。
これを書いてから数ヶ月、特に変化はありませんし、今でも独りひどく落ち込む日々が続いています。
ですがお恥ずかしながら、最近はようやくと「性格や思考は心よりも、かなりの割合が体の状態から来ている」ということに気づき、肉体の健全化に励んでいます。(睡眠時間を たくさんのお返事ありがとうございます。
答えは求めていないとしていましたが、それでもヒントを示してくださったみなさんに、深く感謝したいと思います。
また、共感してくださったみなさん、やはり同じような思いを持つ方がいるのだと知ると心強くあります。
温かい心遣い、重ねてありがとうございます。
これを書いてから数ヶ月、特に変化はありませんし、今でも独りひどく落ち込む日々が続いています。
ですがお恥ずかしながら、最近はようやくと「性格や思考は心よりも、かなりの割合が体の状態から来ている」ということに気づき、肉体の健全化に励んでいます。(睡眠時間を長めにするだけでも、かなり前向きになれるものですね)
みなさんからのお返事でまた少し、元気になれました。
まだまだ人生、悪あがきしますよ(^^)
飽食暖衣で逸居燕楽をのみ好むのは禽獣と同じであって、大いに恥じとするところである。良ろしきところ無し。
開き直らず、その非を知って早急にこれを憂い、悔い改め、過失が大きくならないうちに速やかに志を改め、正しい道に帰るべきである。
そうすれば咎も免れるものである。
陽剛の志をもって働けば、望む事も通るであろう。
自分が幸せと感じる場所で、心の望む仕事が出来たらどんなに幸せな事か、お互い幸せな仕事をしたいですね。
私はまだ学生ですが、確かにそういう角度の悩みをあまり聞いたことがないような気がして少し新鮮でした。解決のためではなくただ共感したい人の為の悩みという発想が素敵というか、言われてみればそういうものでいいんだよなとストンと落ちたというか。
最後に向かって文がどんどん前向きに爽やかになっていって読んでいて安心しました。…なんだか評論家みたいになってしまいましたが、小瓶をありがとうございました。私も頑張って足掻いてみますね。
答えを求めていらっしゃらないので、ただの私の思いになってしまうのですが、私はあなたの考えに心動かされました。
私は学生です。労働ということにまだ実感が湧きません。ですが、拘束に対する恐怖はあります。別に、親や友達など誰かに束縛された経験はありません。ただ、何かに拘束されることが、そしてそのまま何の不思議もなく一生を終えることが漠然と怖いのです。だからと言って、拘束なんてくそくらえだ!としがらみを振りほどいて疾走するだけの野望もなく、それならば私も労働に従事するしかないとも思います。第一、生活のための金が必要ですから。
実際に働いてみれば、「労働=生き甲斐」なんてことになるかもしれません。しかし今は、どこかに従属し集団に含まれていなければ自分の生が確立できないと思うと、少し虚しくなります。そして、その拘束による私の安定を、親や世間が求めていると思うと、少し苦しくなります。
解決の「か」の字もなく、ただの私の感想かつ長文になり、失礼しました。論点がずれていたら申し訳ありません。ただ小瓶主さんのお考えを拝見でき、心にすとんと落ちるものがあったので、お礼を申し上げたく書かせていただきました。ありがとうございます。
主さんのお悩みもまた、悩ましいものだと思いました。
私が思ったのは、そのお悩みそのものではなく、そのお悩み自体に、悩むご自分が何を求めておられるのかの深掘りが必要なのかなと。
他者とは違う思いをずっと続けてこられた主さんご自身のことを少し離れたところから観察すると、お悩みがご自分らしさに繋がっていくのかな、などと思いました。
同じ悩みをもつ方がいらしたとわかり、何だか少し救われた気持ちです。
現在の家庭環境やこれまでの人生の過程・経験は違えど、同じような思いを抱えて日々「労働」している者です。
私が常日頃ずっと抱えていて、長年積もり積もった心の澱のようになってしまったものを、こうして穏やかに、かつ解りやすく言語化してくださって、本当にありがとうございます。
> いつの日か、「労働」ではなく…… どんな形でも、心の望む「仕事」をしましょう!
なんて素敵な言葉でしょう。
いつの日か、私もそうあれたら...。
画面のこちら側で、私もあがき続けたいと思います。
素敵な小瓶、ありがとうございました。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
【急募】好きな人の諦め方
静かな雨の日。雨音だけが聞こえてくる。
こんな人生勘弁してってば…!
母親の性。私が父親と仲良くなることを阻んで、関係悪化させていたのは母親だった。私が思春期に美しくなることを否定したのも彼女だった。
自分が何かわからない。今中学生なのですが親と祖母がよく喧嘩をしています。祖母は少し嫌なことや気に食わないことがあると夜中とかに聞こえる声で愚痴を言っています。
ただの独り言。なんだか疲れてしまった。ここ数ヶ月でたくさんの人を傷つけてしまった。
くそイライラする。そっちの都合なんて知るか。いつもいつも邪魔しやがって。
あなたは覚えていないだろうけれど、ありがとう
家にてんとう虫が毎日来てる……
家族だから何?ただ血が繋がっているだけ。それの何が特別なのか。血の繋がりなんてものより、その人自身の中身で価値をつけるべき
私は存在しない方が良いのかもしれない。。私には、なにも良いところが無い。周りの人たちは全員必ず良いところがあって、褒められているのに。私だけ今まで何も褒められたことがない
最近親が姉と私で接する態度が明らかに違う。私が親に話しかけると機嫌が悪くなるからあんまり家にいたくなくなってきた
安倍さんの事件で旧統一教会の悪行が明らかになった。大きな騒動となった。なら私が自殺したらどうなる?
不公平
久しぶり