誕生日を親だけが祝ってくれた。それだけで良かったが、誕生日を知ってる友人や知人からは電話もメールも無い。
あぁ、私には『友人』など初めから居なかったのかとすら思ったのだ。
『家族』と呼べる人はなんだかんだ言っても『母』しか居ないのかと。
みんな忙しい? 金が無い?
正直、それは理由にはなってないって事を知らないのだろうか?
それで許されると高をくくっているのだろうか?
まぁ、わかるんだけど、それが定型文になっているのだ。
繰り返すそのセリフは聞き飽きてもう疲れました。
もっと疲れるのが今家に来ている。
甥とその彼女だ。
なぜ夕方という時間帯にやってきて、飯をねだりに来てるのだ。
金が無い理由なんて分かり切っている。
どうせ考えなく使ったからだろ?
金額少ないなら次の給料日まで飯が持つように工面すんのが普通だ。
前借でどうにかしてる内は、「独立」なんて言葉ほざくな!って言いたくなる。
もうあの2人も姪も、関わりたくないのに。
母が亡くなったら、どうせ借金返済でこの家売られるんだ。丁度いい。
ココが無くなれば、きっと離れられる。
離れたい。でも墓の傍に住みたい。
あいつらと顔を合わせなくても良いように過ごしたい。
何も変わらず、礼儀も払わない奴らと関わりたくない。
あいつらの両親とも交流したくない。
知らない場所に行きたい。
会いたくない。
フォローもしたくない。
文句が口から出そうで仕方ない。
ホントは言いたくない。
言いたくない理由は、母がストレス感じる事になって病気が悪化するのを危惧しているから。
ただ、それだけ。
あいつらが怒ろうが、文句を言おうが、暴力を振るってこようがどーでもイイ。
それを見て、母が倒れるのは嫌なの。
だから母の残り少ないかもしれない人生をもう少し、続ける為に私は我慢できる。
バカで愚かで哀れな若僧共が、自立できるかこのまま進めるのかしら、まだ見えてはいないから。
口ではなんとでも言える。建前を言うことも、立派なことを言うことも・・・。
ただそこには本質なんて無いのだ、彼らには。
あるかも知れないけど、薄っぺらいのだ。重みが感じられない。
私みたいな人生を送らせない為にいろいろ言ってきたけど、それも意味を持たない事と知った。
私の存在はどこへ行っても異質。
分かり切ってるので別に私自身はどーでもイイ。
どうなろうが、私の決断でしかない。
何がどうなろうが、どーでもイイ。ホントは。
やりたい事がやれればそれでイイ。
親の未来の為に、ただ時を待つことにする。
心騒めいて落ち着かなかった月末。
でも今さっきあいつらは帰ったし友人から連絡来て遅いけど「おめでとう」を言われたので少し落ち着いた。
何をしても不発な私の行動。
仕方ない。
人生の大半をムダとも思える行動で費やしていたのだから。
だけどそれらは決して『無駄』になんてならずに、私の『経験値』として活かされてきたのだ。
それに気づいてるから「ムダ」とは言わない。
私は人と同じようにすることが難しい。
私は私の感性のままにしか生きられない。
それは傍から見たら酷く大変に写るのだろう。
どうあがいても変わらないからもう、開き直りましたよw
私は私のまま、進む以外ない。
孤独と思っても問題ない。
なぜなら、それは幼かったあの頃から何一つ変わらないことだから。
こんなとこまで、読んで頂き、ありがとうございました。