私は精神疾患を持っていますが、ありとあらゆる「差別」を人々から受けて来ました。
でも、これは本来おかしな事だと思うのです。と言いますのも精神病を患っていれば何事をするにしても人の何十倍何百倍の「努力」を要し、努力している者が人から「差別」されるのは「理不尽」で「不条理」だと思うからです。
パラリンピックの選手ならば人々から褒められるのになあ、と思います。
やはり「差別」や「弱い者虐め」は「人間の本質」なのでしょうか。
ご返信よろしくお願いいたします。
名前のない小瓶
85652通目の宛名のないメール
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お返事が届いています
一通目のお返事の方へ 「差別と区別は違う」。それこそれっきとした「差別」かと存じます。お返事はご容赦のほどを。
二通目のお返事の方へ 精神疾患はお辛いですよね。共に頑張りましょう。ご自愛ください。
三通目のお返事の方へ 精神疾患は「奇形」では決してありません。お返事はご容赦下さい。
人間の本質というか、動物の本質なのではないでしょうか?
奇形の動物は仲間から避けられたりします。
人間も含めて動物は異質なものを排除する傾向があるのだと思います。
私も精神疾患患ってます。
精神科とは、もう20年の付き合いです。
普通の人が当たり前に出来る何でもない事でも、ハードルが高く、日常生活も正直かなりキツイです。
それでも、何とかやってます。
でもまわりからは理解なんかされません。
具合が悪くなると、横になる事しか出来ません。
でも、誰も助けてくれないし、必死にやってるけど、報われない不条理さ。
見た目でわからないのは、損なんだなと思ったりします。
主さんの「差別」が、「私は◯◯という病気です」という主さんの言葉に「キモい!」「生きてる価値ない!」と何の知識もなく騒ぐことを指しているなら、それはもはや差別ですらありません。ただの悪口です。
そういったことを理不尽、不条理と主さんが感じるのは当然で、お気の毒と思います。
「弱い者虐めが人間の本質」とまでは思いません。むしろ弱い者をどう助けるかという発想から多数の技術や医療が発達したと私は思うので、弱い者虐めはあくまでその個人の気質だと思います。
一方、社会的な不自由さであるならば、「差別」と「区別」をきちんとライン引きしなければいけないな…とは思います。
例えば、うちのアパートは精神疾患がある人の独り暮らしを禁止しているそうです。
理由としては
◯病気が悪化した場合、発見が遅れることは避けたい。命に関わることだから。
◯病気を理由に部屋を必要以上に汚されたり、ゴミ分別などのルールを破られたら困る。
◯万一事故や自殺があると不動産価値が下がる。本人に賠償の責任を問えないことも多い。(何か訴えても「お金がない」などと言われれば泣き寝入りしかないってことです)
これを差別とするか区別とするか。主さんはどちらですか。
私は区別だと思います。なぜならアパートのオーナーは、自分の安心や利益を出来るだけ守る権利があるからです。
差別というのは、根拠もないのに決めつけることです。
一方、区別というのは、「危険があるかもしれない」とか「誰かの生活の妨げになるかもしれない」という予想から生まれるものです。
ここのラインは非常に悩ましい部分です。
「健康な人に比べ、何十倍も努力が必要」という主さんの言葉はきっと真実です。
例え当事者でなくても、様々な精神病の症状の情報をちょっと調べるだけで「こういうことが出来なくなるのか」「大変そうだな」と、浅はかながら少しは想像出来ます。
ただ、精神病患者さんに向き合う時、その「努力」をどこまで評価するかは、相手に委ねられる割合も多いんじゃないでしょうか。
先に書いたように、アパートの契約にしても、仕事の振り方にしても、「私はもう大丈夫です。やれます」という当事者の自己申告だけで判断出来ないことがあっても、やむを得ないんじゃないかと私は思います。
「私は大丈夫」の言葉だけでなく、客観的に見た当事者の状態や、当事者と似たような人の前例、万一大丈夫じゃなかった場合周りがサポートをどこまで出来るかなどの環境を含めて考えた時、「いや、まだ大丈夫ではないだろう」「健康な人と同レベルの信用・信頼は出来ない」という判断が下されるのは、差別でなく、区別の範囲じゃないかなと。
それは患者さんにとっては正当な評価でない、差別と感じるかもしれません。そう感じるのも当然で仕方ありません。当事者にとっては、衣食住も仕事も切実な早急の問題だからです。
時代のせいもあると思います。
昔々は、精神病でも出来ることは多々ありました。単純作業が多かったからです。水に入れた藁を踏んで柔らかくするのを一日中繰り返す、みたいなね。
でも今はそういうものは全部機械でやる。機械では出来ないレベルのことが人に求められるようになった。だから患者さんの居場所がなくなったというのもあると思います。
支援の実態はまるで無知なのですが、今後の支援については、まだなかなか進まないんじゃないかと思います。
100人のうち患者が1人なら、あとの99人でサポートするのは簡単です。しかし、100人のうち30人40人が動けなくなれば、支えるのは非常に困難になります。
その為「まずは今元気な人を元気なまま維持する」「患者の割合をこれ以上増やさない」というのが優先され、患者さん当人への対応は後回しになりそうな気がします。
長いだけで、まともなお返事になっているかわかりません。
気分を害された箇所があったら、お許し下さい。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
生きて迷惑をかけ続けるぐらいなら死んで終わりにしたい
はじめまして!
きっと大丈夫。大丈夫だよ。偉いよ。よく頑張ったよ。もう少し頑張れば楽にある。そう言って、昔の私を抱きしめたい
自分が嫌い
知らない方が幸せな事っていっぱいあるね。
あーなんかもう死んでしまいたい。生きる意味がわからない。毎日つらくてどうしようもないような不安におそわれて。死にたくないけど生きるのも嫌で。
お返事した小瓶一覧の感想。ほかと違った小瓶の見方ができていい
私と同じアーティストを推している子が、好きなものを否定されていました。キモいって、なんでそんなの好きなのって言われていました
死ぬのが怖いのか怖くないのか分からない。もう死んでもいいやって思えてしまう。
出来ないんだから仕方ないでしょ
最近の部活
末期になると言われ、抗がん剤治療を進められる。もう疲れたこのやり取り。
先生にみんなの前で疑われた。信じてくれなかった
アンチ→アンチに対するアンチ→アンチスルー、達観。という流れを辿ってきた人もいるんだろうなあ
あてめに小瓶流すのはきっとこれが最後 今までありがとうございました