優しい人もときどきいるけど,人の弱みにつけこんでやり込もうとする汚い大人が多いと最近感じます.そんな大人たちに心を汚され続けて生きるぐらいならもういいかなって思うんです.汚い大人たちに心を汚されていまの子どもの?新鮮な?澄んだ?感覚が麻痺してしまいそうで怖いんです.汚された心の僕はもはや僕じゃないんです.心を汚してまでお金を稼ぐことが,社会が発展することが本当に幸せなのかなって最近よく思うんです.まわりの大人たちの感覚は生きてることが当たり前になって,生きてることに対する感謝を忘れて効率とか地位とか求めすぎて,心の底から生きててくれてありがとうって思うのなら弱い人や立場の低い人をやり込めることなんてないのに.優しくしたら逆に道具のように扱われるし,もうやんなっちゃった.生きることなんて,自分の命なんてどうなってもいいやって.死ぬのを止めるのはまわりのためとかまわりが悲しむからとか.そうじゃなくてさ,苦しんでいる本人のことを一番最初に考えてあげてほしいんだよ.その苦しんでいる本人がこれまでいつも一番最初にまわりのことを考えてくれていたんだからさ.わがままだけど.そういうところも汚いよな,大人は.僕は生きている間は打てるだけ手を打つけど,打てる手がなくなったらそこが死に場所だととらえ,果てようと思います.最後ぐらい,お花畑で.