ななしさん
長年お世話になった人からたった一言だけど私の存在を否定する言葉を吐かれたことで、その人との関係を切ったことがあります。私の苗字が変わった時に、今まで普通に会話をしていたクラスメイトからいじめられたことがあります。これらは紙一重です。階段も、普通に上がれるか、それとも足を踏み外すかはのぼらないとわからない。それはちょっとの差です。ほんの些細なきっかけで失われ、崩されます。そのスピードたるや相当なものです。自分のことを好きだった自分を未来の自分がバカにしていたこともあります。こんな目にあったのに、あわされたのに好きでいられるわけがない。それは、他人も自分も同じですよね。今こうして楽しく話している人が、あの時のあの人みたいに私のことを裏切ったらどうしよう。喧嘩しつつもその都度仲直りしてきた人にそれよりひどい言葉を言われたらどうしよう。私も常々思います。あと、少しズレるけどなんで当時の自分がこの小説や歌を好きだと思っていたのか理解できないってことありませんか。でも、それは多分自分が成長しているからです。その証です。自分でさえそうなのだから、誰かや何かを疑うのは当然のことです。なんであの時のあの人を信頼していたのか。そんな自分を思いかえすと、自分がたまらなく哀れに思えてくることもあります。でも、私は思います。もしも裏切られたと思っている彼らに自分自身が悪いことをしていたという自覚があれば、裏切られたとは思わないんだろうな、と。自分はどんなに考えても悪いことは言っていないししていないのにそれでも攻撃されるなら、もうそこまでだし、時間がかかってしまっただけで、本性がわかってよかった。と私は思い込むことにしています。自分を傷つける人間に価値などないと私は思っているので、その時はその時。今は今です。裏切られたと感じているその時の自分は苦しいけど、でもそれは自分の成長のためには致し方ない。遅かれ早かれ、成長し続けるということは、その分振り切らなきゃ前に進めない人やものがある。それが、その時自分を苦しめるんです。
そして失われるかもしれないからこそ、自分が持てるたくさんの力をもって今いる人や物を大切にするんです。その時その時の自分が大切にしていたのなら、何ら恥じることはないし、それが失われても大切にしていたという事実は変わりません。この事実がないのはひどく悲しいことです。だから、今大切にするんです。それを続けることが大事だと今の私は思います。