なんか、馬鹿馬鹿しくなってくるというか、めんどくさくなってくるというか……
たとえば性別。多様性を認める時代。
男だ女だのに縛られるのが嫌な人の意見が多く出るようになった中、逆に、
男だ女だのに縛られなくなった現状を嫌に思う人の意見も見て……
そうやって、どうしたって全員の希望通りにはならないのを知るとなんだかどうしていいかわからなくなって……
ああもう、どうでもいいや。
なるようになれ。って。
世界の選択を受け入れる。
これに関してはどうしてもこうあってほしいとかではない限りは、まあ、それでいいのだろう。
性別に関して言うと、ぼく個人はべつに、そんなに苦しむ要素を持っていないし。
みんながなんか苦しそうなのが苦しいだけ。
みんなが苦しそうで苦しいことは、わたし個人はたいして苦しくなくて。
時々寄り添いすぎて勘違いしちゃうけど、自分はそんなにつらい人生を送ってない。
美味しいご飯食べて、ゲームして楽しんで、夜ぐっすり寝て、朝なんとか起き上がって……
そのうち死ぬんだ。
そんな毎日に、満足はしてないけど、しあわせを感じていないわけではない。
ものすごくつらいこともある。
やらなきゃいけないことをやらなきゃいけないから。
死んでしまいたい。今すぐ死んでしまったっていい。
それでもやらなきゃいけないことをなんとかこなして、また生きていく。
死ぬまでそれを繰り返す。
早く死ねと思いながら。
そんな毎日が、しあわせだから大丈夫なのです。
嘘じゃないよ。しあわせの形は人それぞれだもの。
でも勝手に思っていいと思う。
この人つらそうだな〜とか。
わたしも人にそういうの勝手に付けるから。
ぼくも勝手なこと言ってるし、人も勝手なこと言ってくるから、それもなんかもう、どうでもいいなってなる。
なにか言われて嫌な気持ちになるのも、なにか言って相手を嫌な気持ちにさせるのも自然なことだから。
人間だし。心あるし。
嬉しい気持ちにも、楽しい気持ちにもなれます。
ところで、ボクは最近、『あの人がわたしだったら』ではなく、『あの人もボク』であるからして自分のしたいように生きているのだと思っている。
元々ボクは『全員が自分(キャラクター性などは違う)のひとりぼっちの空想世界』に生きているわけだが……
現実世界のほうだと他人であることを意識しすぎて変になってた気がするんだ!
べつによかったんだよ!
現実でもひとりぼっちの世界のままで。
『自分だったらなにしてもいいよね』ではなくて『自分だからこそ大切にする』人間だから、その考えでよかったのだ!
自分も含めてみんなボクだから。
みんなのこと愛おしいし、大好きだし、大嫌いです。
うん!それでいい。
自分であっても価値観の押し付けはしない。
自分であっても肯定しすぎたり否定しすぎたりしない。
ボクはずっと、実質ひとりの、たくさんの人(自分)がいる空間で、人(自分)付き合いしてきた。
それは無駄じゃない。
わたしは、大好きで大嫌いなままの自分でよかったのだ。
どんなに他人(自分)に望まれなかろうともね。
わかってるもの。そんなわたしを望んでくれる他人(自分)がいることも。
よし!わたしはこれからも人(自分)を愛すぞー!!
おわり!!!