私は多くの死をみてきた。あなたもそうでしょう。100年近く生きる肉体と、たった数日しか生きなかった生き物、どちらも同じ様に朽ちてゆく。自然というものは時間に価値を添付しないのです。命は命で等しく、死は死で等しい。もちろん所業にも、いかなる善行を積めど死ねば地面のシミ、土の肥やしそう言ったものになるのです。
そう、生きた時間、命や死に価値を見出すことをするものは理性であるわけです。
故に私は人の理性に価値を見出す。それを美しく成した者は美しく、愚かな者には価値は薄いのです。
本能なんてものは大して価値はない。あらゆるものがそれを用いるからです。あって当然のモノだ。
人は妙に本能に価値を見出し論理の領域へ運ぼうとする、しかしこの行動は過ちだ。
どれだけ理性で理解しようとしてもそれは本能以外の何でもないのです。
大変つまらないと思いませんか?
生きる時間。生きる意味、死にさえも価値を見出すことができるそのギフトを人間はあらゆる愚鈍な使い方しかできないのです。
あなたはどうです。