最近、付き合ってる人たちが「付き合ってる」っていうステータスを背中にしょってるように見える。もちろん気のせいなんだけど。
こんな風に感じてしまう私は心が狭い。そんなことは分かっている。
「好き」がステータス化されて中身がなくなったらめっちゃ怖いなって思う。俺はあいつが「好き」、あいつはあの人が「好き」ってラベルを貼られる。
「好き」をステータスとして見る風潮は前からある。「好きな人だれ?(笑)」っていう質問はその象徴。「好きな人」が全員に等しく存在すると思ってるから出る発言。「好きな人いる?」はまた別。
あいつは誰々が好きなんだって~、みたいな噂は小・中学校ではそこかしこを飛び交ってる。それを聞いた人はその人のことを「誰々が好き」というフィルターを通して見ることになる。
これが、私が感じた「好き」のステータス化。
あくまでステータス化は他人による評価だから別に問題はないんじゃね?っていうのが私の見解。私が怖いと思ってるのは、ステータスに流されて中身がなくなること。
「なくなる」、とまでは言わなくても、中身が薄くなるのは嫌だ。
例えば、自分は誰それが「好き」ということになっているけど、そこに好きという感情がないってこと。
本当に好きか分かんないけど、「好き」ってことになってたらめちゃ怖いと思う。
付き合ってる時もいえる。
付き合ってるし、「付き合ってる」っていうステータスがあるけど、好きあってない、みたいな。互いにステータスで一緒にいる、みたいな。
今、リアルで付き合ってる知り合いがこうなってたら嫌だ。本当に嫌だ。吐き気がする。
好きっていう感情を忘れたくない。
ステータスだけじゃなくて、本当に好きな感情を忘れたくない。
片想いを諦めたら、忘れてしまうかもしれない。