この表現が凄く好き。
言うのも言われるのも好き。
あたしは無条件の愛だとか、無条件の肯定が苦手。
むしろ功績が残せなかったなら、無理に褒める所なんてみつけないで欲しい。
そんな捻くれまくった人間。
だからこそ、「誇りに思う」という言葉が、あたしのやって来た行動や努力を認めてくれているようで嬉しいんだ。
だって誰かの誇りになるということは、その誰かの目には、何かしらに向かい合って頑張ったあたしが映っていたって事の証左になり得るから。
それに、誰かを労いたい、認めたいという時の表現として最上級の言葉だと思うんだ。
「頑張ったね」「良くやった」だけだと物足りなさを覚えてしまう時に、ぴったりな良い言葉じゃない?
まあ目上の人には使いづらい言葉だけど。
積極的に使っていきたい言葉だけど、口語的には少し堅苦しい表現だから、なかなか使いづらい。
でも、文章だと素直に書けるね。
あたしは貴方を、誇りに思うよ。
ななしさん
先輩、お久しぶりです。
最近色々あって、
自分自身について考えることが
増えたんです。
貴方が無条件の愛を苦手と
するように、私は他人からの
愛がとても苦手なんです。
私は自分を客観的に見ることが
極度に苦手です。
常に、私の周りで世界が
回っているんです。
私は帰属意識が人よりも
薄いのかもしれません。
自分が家族の一員であるのが
実感できません。
ゲームの世界みたいな、
プログラムされたみたいな、
そんなふうにしか
人を認識できません。
人の気持ちに共感できるのは
その人の特性、性格を分析して
それをデータにして、
その人の感情を理解してるんです。
誰かの特別になるのは苦手です。
周りから与えられるのが怖い。
私は読者なんです。
本の中にいない、第三者だから
本の中の登場人物に愛されても
困惑してしまうだけなんです。
帰属意識というのは
○○と友達だ、とかの意識も
表すと思います。
そんなことでさえ実感できないから
愛を与えられても
友達愛とか家族愛とかの実感が
全く湧かなくて、
他人事にして逃げてしまうんです。
私は私のことを誇りに
思えるのでしょうか。
逃げてしまうのは誇りに思って
いいことなんでしょうか。
毎回毎回自分語りになってしまって
ごめんなさい。
ただ聞いてほしくて。
追記:最近甘いものを食べることが少なくなりました。それどころか少食に?甘さ控えめの甘いものを教えてください