いつもぼーっとして生きてた。
やりたいことができても環境とかを考えてできない理由を作ってやらなかった。
親が大人が望むだろうな~って思ったことを適当にやってきた
そこに自分の意思はなかったし、頑張らなくたって何となくできて何となく結果が出てしまっていた。
頑張らなくたって成績はそこそこよくなったし
頑張らなくたって友達とは仲良くできたし
頑張らなくたって進学もできた
頑張らなくたってみんなが「すごいね」「えらいね」「がんばってるね」と褒めてくれていた。
だから勝手に頑張った気になっていた。
いや。。他から見たら頑張っていたのかもしれない。
毎日誰より遅くまで練習はしていた
友達の気持ちには敏感だっただからこそ、合わせていた
何回もワークを解いていた
でも、それだけ。「やる」は確かにしていた。
でも、それは私にとって努力ではなかった。
ただ「やっていた」だけ。
「なんもすることないしとりあえずやっとくか~~
あ、なんか評価された~~」そんな感じ。
そんな私を見抜いていたのか親は私を「何に対しても中途半端」と評価した
その評価が悲しくて、でも自分のやりたかったことを勝手に捨ててぼーっとしてた私はどうしたらいいか分からなかった。
だって、頑張らなくたって、努力しなくたって、自分の望んだ未来じゃなくたって
みんな褒めてくれた。認めてくれた。
だから今のままでいいじゃないかって。
それでも親の評価は変わらなった。
本気で何かに望んだことがないから
失敗したって負けたって
「わ~失敗しちゃったなー。」
で終わっていた。
本気じゃないから悔しくとも何ともなかった。
何かの結果よりも自分の周りの平穏を守る方が私にとってはきっと重要だった。
いや、親に否定されて悲しかった私はもしかしたら過去を掘り起こして頑張っているのにと思っていたかもしれない。
ただそれでも結果を見て出てきていた気持ちが全てだったように思う。
そうやって悔しくもなんともないからだからパッとやってできる以上のことはしない。
そうやって努力をしないのだから当たり前に他との距離はできていった。
そして、大人になるにつれてやることが多くなり、自由な時間なんて無くなっていた今。
成人して数年。ふと周りを見てみたら自分がなんと遅れていることか。
ぼーっとしてまぁいいか~~で過ごしてたから私には何もなかった。
何の成果もなんの身にもなってなかった。
初めて挫折?をしたんだと思う。
挫折に気づいてからは自分の昔を否定したくなくて、
肯定できるものにしたくて
自分の過去への理由付けが始まった。
過去は過去。すがったって変わるものなんてない。
そうと心のどこかで分かっていても変われなかった。
日に日に自分がおかしくなっていた。
今日のように体調のいい時にどうにかしなければと思うが、結局できない。
何を今更したらいいのかわからない。
後悔したって意味はないとわかっていても
後悔を辞めた後にどうしたらよいのか分からない。
こんなんなら気づかないでぼーっとしたまま死ねた方がよかったのかもしれない。