落ちてることのほうが多い人生。
子供の頃から本当に楽しかった日ってどれだけあるんだろ。
無気力の日が大半を占めてる私の人生。
いつしか、こう思うようになっんだよね。
許容量が小さい母は、部屋を片付けなかった、手伝いをしなかった、それだけのことで「ママをバカにしてんでしょ!」と怒鳴り散らし、泣けば怒るから涙をぐっとこらえていれば「何よ!その目つきは!ごめんなさいなんて言いながら、お腹のそこでママのこと笑ってんでしょ!」「ホントは悪いなんて思ってないんでしょ!」と、被害妄想が激しくて、2時間も3時間も怒鳴り続け、自分の怒鳴り声で勝手に高ぶりがピークになると、私に殴りかかってきた。
そのくせ過保護で過干渉。髪を切るのも服を買うのも、母付き添い。
勝手に切ってきたり買ってきたりすると、ものすごく不機嫌になり、髪型をけなしまくる。買ってきたものを「趣味が悪い」とけなしまくる。
私は無気力になっていった。
母の気分がいつも優先され、私が傷ついていることなど、見返りもされなかったから。
毒親という言葉もなかった頃。感情的な虐待はいつも母の気分次第。
それでも母は自分のことを「愛情深い献身的な母親」と思い込んでいるから、絶縁したまま一切、手紙も電話も受け付けない私に怒り狂っている。
もうどうでもいいんだけど。
でも、気がついたら、私、空っぽなまま。
早い段階で生ける屍になることを自分に許してしまったから。
そんなに私を自分の自由にしたいのなら、目の前で駄目になっていく娘を見ていればいい。
そんなふうにいつからか、自分を投げ捨ててしまっていて、そのまま時が過ぎていた。
ハッと気づいた時、私は自分が何をしたいのか、何が好きなのかさっぱりわからない。
そもそも生まれてきたくなんか無かった。
こんな面倒くさい世界に。
愛情と称してエゴを押し付ける世界に。
必死に今、誰も愛してくれなかった私を私が愛そうとしているのだけど。
挫けそうになる。
何一つ、心の糧になるようなものを持たない私は、頻繁に激しく生きる気力を低下させる。
このまま家に閉じこもったまま干からびてしまいたい。
でもまだ理性が勝ってしまう。
腐乱死体は醜いだろうな。
すぐに乾いた骨になってしまえればよいのだけれど。
そうもいかないから。
周りから、みじめだね、だなんて哀れまれるのもイヤだし。
私のこと、本当に私のことなんてよく知りもしない親や兄弟達が、悲劇の主人公のように周りからいたわられるであろうことも、腹立たしい。
ましてや他人から、興味関心でなんか見られたくもない。
だから仕方なくまたノロノロと立ち上がって生きていく。
時間がどんどん過ぎていく。私を取り残したまま。
だから綺麗さっぱり消えてしまいたいんだ。
もうあらゆるしがらみから自由になりたい。
私を理解できないなら放っておいて。
人を思いやる気持ちなんてないくせに、自分だけ思いやってもらおうなんて、甘いんだよ。
被害者意識が強く自己愛が強く自己肯定感の低い親なんて、害虫でしかない。
自分の不幸も苛立ちも全て子供のせいにする親の振る舞いは全て虐待。
虐待を受けて育った子どもの末路が私。
何回も立ち上がろうとしては倒れて、を繰り返し、なんだか普通に平気に、立ち上がれない。
悲壮感もないし涙も出ないし、憎しみもないし。
もうどうでもいい。
そう、どうでもいいって感覚、こういう感じなんだな、と今、味わってる。
名前のない小瓶
212945通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
お返事が届いています
ななしさん
小瓶主様へ
私もあなたほど〜とコメントした者です。
幸せを願ってくださって嬉しいです!
ありがとうございます!
私も親へのそこへの苛立ちは本当に凄くて、子供の頃から育て方がわからない、老後のことも子供や他人任せで怒りのような感情が込み上げてくる日は今もあります。
全然壊れてなんかないと思います。
人の幸せを願える優しくて素敵な方です。
自分が精一杯生きることを頑張られていることが本当に素敵だし凄いことだと思います!
幸せを願うことができる小瓶主様はきっと
これから沢山幸せになっていけると思います。
これから小瓶主様が自分の幸せを願って、幸せが沢山降り注ぎますように!
願っています。
ななしさん
(小瓶主)
コメントありがとうございます。
こんな私のために励ましと優しい言葉をくださった皆様ありがとうございます。
こんな優しい方たちがどうか幸せでいられますように!
本当に毒親って、子供が大人になり自分が年をとった時のことなんて少しも考えないんですよね。
不思議です。
私は親を捨てることで、溜まりに溜まっていた思いを返しました。
自分のしたことは棚上げで全て美化して良い親のつもりで被害者ヅラの母は、無視し続ける私を恨んでいます。
親が早く死ぬことを平然と願う私は壊れているな、と感じますが、怖いほど罪悪感が湧きません。
母のことなんかどっちでもいい。
今は私が生き続けることだけで精一杯。
つきよのさくら@こころ穏やかに
ご存知かもしれませんが…
「オレンジリボン運動」
子ども虐待防止のシンボルマークとしてオレンジリボンを広めることで、子ども虐待をなくすことを呼びかける市民運動です。
サイトにいろいろな情報があります。
一読してみてほしいです。
私は虐待経験はありませんので、どうしても想像の世界になってしまいます。
あなたのお手紙を読ませていただいて、思い出したくないほどのつらい記憶と感情が、あふれ出していると思いました。
あなたは何も悪くないのに…
世の中は不公平だと思わざるを得ません。
あなたの気持ちに共感する人間がここにいます。
決してひとりではありませんよ。
ななしさん
私もあなたほど酷くなかったかもしれませんが刃物を向けられて幼い頃から何度も暴れられたり、多分かなり意地悪で自分のことが1番可愛い母親と生きてきて、今は離れて暮らしていますが母親から受けた心の傷はかなり酷いもので何年も病院に通ったり働こうとしても、支援やカウンセリングは頑張ってみても苦しくて 外に出ることも本当に難しい 本当に泣くことしかできない時期を過ごしていました。
理解者なんて形だけで本当はいないこともわかっていました。小さい頃からずっと
だから耐えて、壊れて 嫌でも他人を優先したり良い子になるのをやっとやめられるようになってきて
今はもう自分で自分を愛して許して、そこにやっと来られた感覚。
干渉されたくなくて見られたくなくてだから立ち上がるしかない、でもそれは 辛いですよね本当は やりたくないですよね 私はやりたくないです本当は 何もせず、ずっと眠っていたい。何も考えずにゆっくり休みたい。優しい世界を夢見ることだけしていたい。
凄いな と思ったんです。この文章を見て
あなたはとても強い人で
きっと 今も苦しみを沢山背負っているのに
沢山の傷がまだまだきっと癒えていないのに
普通に立ち上がれない、って悲しくなるなんて
本当に強くて、凄いです。私は最近まで周りが何と言おうと それが良くないことだとわかっていても頑張ることをやめてのんびりしていたから
私も虐待を受けて育って 上手く周りと違って立ち上がれません。
でも 最近は もう、仕方ないだろ!と開き直っているというか 目には見えない傷が深すぎるから仕方ないって 好きなことばっかりしてました。
それでも 夢だった好きなことをまた頑張ってみようとして でも中々一歩が踏み出せません。怖くて仕方なくて それが辛くて
でも普通に立ち上がれないのがきっと当たり前なんですよね。もはや立ち上がろうとすることが本当に奇跡のようなことなんだとなんじゃないかって思います。
私もこれからまた立ち上がったら、周りに馬鹿にされたり周りよりできないことも多くて 何もかもどうでもよくなるかもしれない。それでも
私は私がやりたいことをしてあげたい。上手く生きられなくても私らしく私がしたいように生きるんだって
きっとまた動けなくなっても、生きている限り、自分の中にはほんの少し光があって、生きたがっていて、立ちあがろうとするんだ
あなたも どうでもいいって思いながら本当はどうでも良くなんてなくて ちゃんと自分として生きることを諦めない、向き合う凄い人なんじゃないかと思いました。
だから辛い。本当にどうでもよくいきている人たちとは違う。
私は本当は他人にだって 母親にだって 理解されたかった。理解されなくても ただ、優しく話をしたり聞いてもらったり 存在を認めて欲しかった。優しくされたかった。一緒に笑いたかった。あなたが生まれてきてくれて本当に良かったって言ってほしかったし、産んでくれてありがとうって言いたかった。本当はちゃんと愛したかったし愛されたかった。
何で皆んなは持っているのに私だけ何もないのかなってずっと考えて わかったんです。
本当は母も私も
自分を1番愛してあげたら良かったんだって 自分を愛してないのに 誰かにあげることもできないのは当たり前だったんだって
わからず苦しんだ。自分に優しくすることもできないのに 心から他人に優しくできる訳ないんだ
そう思うと、そんな人って割と沢山いるかもななんて思うんです。
私は最近母親のせいにするのをやめました。
そんなこと無理だと思っていましたが、割と母親から受けた酷い仕打ちは母親のせいじゃなくて、全てが私のせいで 母親に傷つけられたんじゃなくて私が傷つけたの!だからこれからは自分を、私を大切にするねって心の中で切り替えるというか思い込むようにしたら、私の場合はですが逆に楽になってきたというか
それだけ、母親に虐待された、というのは悲しくて苦しいことだったんだと思います。
何で自分の子供も大切にできないのに、産むんだろう?とか貶すくらないなら産まなきゃいいのに とか近所の人達にも感じたりしますけど もしかしたら私がこうなったのはこの気持ちを持つ大人として存在する為、私として生きる為だったのかな なんて思うようになって
この間、身内に否定されていた近所の子にあたなはできる子だよ、と一言言えた時
自分の存在理由なんてないって思ってきたけど
きっと、自分みたいな人に そうじゃないよ、あなたは あなたはとっても素敵で頑張っているよ、辛くて苦しかったねって 何か伝える為だったのかもって
違うかもしれないけど きっとそれだけじゃなくて、私が幸せになる為に生まれてきていて、そのためにまたできることからまたやってみようって 今日また思いました。あなたを見てまた一歩踏み出していこう!と思いました。
いつかあなたが幸せになるような 生きがいや、楽しめるような 素敵なものができて
どうでも良くない世界だったんだって
あなたが心から笑える日が来ますように。
頑張るあなたに幸せが降り注ぎますように
願っています。
以下はまだお返事がない小瓶です。
お返事をしていただけると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。