生きることも
死ぬことも
簡単ではない。と
生き、考え続け30年
ずっと死にたいと思い続けている
特別不幸だとは思わない
人並みには幸せなんだろう
しかし、どんな選択をしようと
苦しみが続く人生であると
よく考える
私の人生の話をしよう
母が父に殺人未遂をおこし
幼いころ施設にいれられ
学生の時、父のもとに引き取られ
その父も4年で他界
生活保護を受けていたが
父が亡くなり1人になって
私は母と10年ぶりに
連絡をとり引き取られた
そして、1ヶ月もせずに
恋をしてはしてはいけない人に
恋をして体の関係になり溺れて
いった。初体験で16歳初恋
絶対に許されない恋だった。
半年は母と過ごしたが結局その男と
すごすようになった。
目を覚ましたのがそれから
8年後のことだった、でも
もうどうにもならなかった
全て捨ててどこかで心機一転
しなきゃいけないほど
まわりには知られ、黙認されていた
だけど、それは出来なかった
沢山の人に迷惑をかけたぶん
働いて恩返しをしなきゃと
考えたからだ
そして26のときだった
親友が死んだ。
たった1人しかいない
中学からの親友だった
事故だった。
3日前に私の家にその子の車を
泊めて旅行に行ったら
ぶつけられていて、祖父が
やってしまったようで
知り合いに修理に出して
距離が遠かったので台車の軽自動車を
だしてもらい、それで帰ってもらった
その2日後、車屋さんから連絡がきた
事故でドクターヘリではこばれ
台車の持ち主だった車屋さんに
親族と連絡がとれるか、警察から
連絡がきたのだ。
普通車だったら死なないような
事故だったときいた
親友のいつもの車はSUVの
普通車だった
祖父がその1年後に死んだ
もし、1年前に死んでたらと
悲しむことが出来なかった
そして、その2年後に弟が死んだ
自殺だった。前日に事故をおこして
警察の車の中でこの後死ぬと泣いていて
帰せないと連絡がきて会いにいった
その前にも自殺未遂で病院に
いったばかりで、ああ、この世界では
この子は生き続けないかもと
感じていた
弟は母と、かなり
仲が悪くて問題はあったが
父が違えど
私にとっては可愛い弟だった。
警察に呼ばれ行ったとき
今度こそやばいなと思い
気にしなくていいから死ぬなんて
言うなよ。と言ったら泣きながら
頷いていて、私の前では
一度も、死にたいとは言わなかった
私には今まで一度も。
生き続けないだろう、生きにくのだろうと
わかっていたけど、生きていてほしかった
お金だって事故だって困ってたら
助けたし、解決してきたし、仕事だって
紹介してあげた、ただ元カノのことは
どうにもしてあげれなかった話を
聞くくらいしか。
遺書には憧れていて追いつきたいけど
自分には無理だと書いてあった
憧れられるようなたいした人間ではない
もがき苦しみながら前を無理やり
むいているだけ。過去も現実も
どんどん過ぎていくだけ
だけど私は生きてる、生きるしかないから
そんな私が
なんて言ってあげれば、どう行動してあげれば、もう少しだけでも生きる希望を
みせることが出来たんだろう。
たいした人生を生きてない私に
たいした中身がない私に
どうやったらお前の心の力に
なってやれたんだろうか
自分が幸せじゃない人が
人を幸せにするとこはできない。
まずは自分が幸せになれ。
祖父が言っていた言葉だ
では、死にたいと考えたことがある人は
死にたいと考えている人に生きたいと
思える心を
与えてあげることができないのではと
思ってしまう。
自分自身が選んだ
どうしょうもない環境のせいで
ぬけだすことができずもがいている
この先を考えるなら
死んでしまった方が楽だと
日々考えている、それとは別に
新しい環境に変えようと
色んなことをしている自分もいる
たくさん後ろ指をさされ
たくさんプライドをおられ
たくさん惨めに汚く足掻いて
それでも生きていかなきゃと
わかっていても
穢れたどうしょもないこの人生
大切なものがなくなっていくこの人生
最後に何がのこるのかと
ただ、ただ生きている
そして今も10代のときの失敗が
くびをしめつづける
自分のまいたタネをずっと
刈り取り続ける
消え去るか、死ぬかしか
方法はないのだから。
死にたいけど、生きていたい
そして、死なせてあげたいけど
生きていてほしい。
なんでこんな矛盾していて
つらくて、どうしょもないのが
生きていて、生きているべき子が
死んでいくのだろう。