私は本当に普通になれなかったし、この先もなれないんだろうな、と実感する事がある。
たいていそれは他人と何気ない会話をしている時、相手が何の気なしに言ったであろう一言の言葉尻を拾った時。「普通の人の考え方」が、当たり前のようにみんなで共有されていることを知った時。
そのたびになんだか自分はいないほうがいいんじゃないかと考えてしまう。こんなところにいるべきじゃない。一人でいるほうが絶対に気楽だし、私自身の事を省みるとそれが確実にいいことだとはわかってはいる。
でも誰にも会わずに生きていけるわけではない。この社会じゃ食っていけないし、それこそ引きこもって生きていくしかない。そんな気概はない。でもそうなりたい。なれないとわかっているけれど。
なんかこれを書くのも嫌になってきた。どうせこの後は寝るだけなのに、何してんだろ。
もういいや。もうダメだ。
私も普通な人間になれなくて苦悩してる一人です。ただ、あなたを気遣う言葉は他の人のほうが素晴らしいので省いて自分の言いたいことを話します。―――世の中の普通に憧れて、なれなくてあなたは疲れてしまった。諦めて、自分に合った生き方に妥協するのが楽だと理解している。でもどんなに傷ついても、疲れ果てても貴方はその理想を追いかけずにはいられない。どんなに辛くても望むのをやめていない。その気持ちがまだ少しでもあって、不器用ながら足を進めてるのであれば、まだ貴方は"終わって"いない。
だからそのまま一日を進めてみれば、何か最適解が見つかる可能性は残ってる。あと一日だけ生きてみる、をとりあえず続けてみてはいかがですか?
わかるわかる。って、軽々しく言われてもモヤッとするかもしれないけど。
私はそう思った。
私も人と違う自分を感じるたびに生きていない方が良かったんじゃないかとか思う。
だけど共感できなくても普通を観察して普通を装うことはできる。
所詮普通じゃない人間を受け入れてくれるほど世の中優しくないよね。
綺麗事みたいに、普通じゃなくてもいいとか普通って何?って言葉は世の中に存在してるけど 実際は普通じゃないもの受け入れる世の中ではないもの。
世の中は正しいことより平均値を取るものだから。
装うのもしんどいし、しんどくなる前に居心地のいい場所が見つかるといいんだけどね。
世の中を宇宙として、人を星とするなはらば、星の集まりである銀河も無数に存在する。
つまり色んな考えの集団が数えきれないほどあるってこと。
そのなかで居心地のいい場所を見つけられたらいいんだけれど。
共感できる悩みを持ってる人が居ると実際会ってみたくなるね。
その人の悩みの背景を知りたくなるから。
下衆い好奇心かもしれないけど。