これまで辛酸をなめるたびによくまわりの人たちが口にしていた言葉があります.それは「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる」という言葉です.そもそも苦しみって一律に絶対的な評価ができるものなのでしょうか.人の数だけ感じ方や考え方,好き嫌い,得意不得意があります.心の持ちようや強さも違います.病気持ちで身体的苦痛を味わっている人,ストレスを抱え込みすぎて精神的苦痛を味わっている人.運動はできるけど勉強できずに苦しんでる人,勉強はできるけど運動できずに苦しんでいる人,運動も勉強もできずに苦しんでいる人,運動も勉強もできるのに苦しんでいる人.いろんな人がいます.たとえ社会的に高い評価を受ける傾向が強い学位や地位,名誉を得ているとしても,それを得るまでに味わってきた苦しみというものはそれを得た本人以外の誰にもわかるはずがありません.「鳥のように空を行きたい」と思うのは勝手ですが,鳥が空を飛ぶために何度翼をはためかせ,体に負担をかけているのか,我々人間には理解できるはずがありませんよね.それと同じことです.人の苦しみをあなた個人の勝手な価値観で,ものさしで一律に評価しないでください.苦しんでいるときにそのような言葉一つで突き放されたとき,心の中は途方もない絶望感で満たされます.極端な話,あなたが放った何気ない言葉一つで命を落としてしまう人もいるのです.そしてあなたが施したことは良いことも悪いことも大きくなっていつか必ずあなた自身に返ってきます.「否定されてもなんとも思わない」,「まわりを気にせず自分らしく生きる」,「悩んだことがないから悩んでいる人の気持ちなんてわからない」などという言葉や考え方は使い方を間違えると瞬く間に人を傷つける凶器になります.平和利用や幸福追求のために生み出された科学技術の使い方を間違えて戦車や兵器が生まれるのと同じことです.僕も気をつけるので,あなたも気をつけてほしいと思います.
「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる。だからお前も我慢しろ」
「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる。だから自分だけが苦しいと思わないで」
「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる。それってどこか参考にできないかな」
「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる」って言葉だけでも色んな意図がありそうだと思いました。
言ってる人の本心までは分かりませんが、言われる分には「私の苦しみは私だけのものとだ」と答えたくなります。
何にしても、自分の苦しみと向き合うのは自分自身なので、誰がどれだけ苦しいとかは無関係なのは間違いないのかな。
けれど、それも見越した上で、苦しみと向き合うヒントになればいいと思って「あなたよりももっと苦しい思いをしている人がいる」ということを言う場合もあるのかもしれません。
頑張れって遠回しに言ってる感じでしょうか。
その言っている人自身が過去に「自分よりも苦しんでいる人がいる」のを知って心がどこか軽くなったことがあって、それをそのまま人に勧めてる場合もありえるのかな。
そう、私のイメージではこの言葉は戦後とかの誰もが苦しい時代に「私よりももっと苦しい思いをしている人がいる」と自分に言い聞かせるような使われ方をしていたように思います。
そう言ってる人を見て育ったら、苦しんでいる人に「お前よりも苦しんでいる人がいる」と言いたくなるのかもしれません。
言われてムカついた人が「自分の苦しみは自分だけのものだ」という考え方に至ったのなら、「お前よりも苦しんでいる人がいる」という本心がどこにあれ言われると腹が立つだけのこの言葉も、私にとっては必要なものだったっていう気がしてきました。
うーん。
「お前よりも苦しんでいる人がいる。だからそれぐらい平気だろう」という風な言い方はなくなると良いな。