はじめまして。
精神病と診断されて三年以上服薬と通院を続けている二十代前半の蛍子(偽名)です。精神病の原因は、親からの体罰だと思われます(今はもう体罰はありません)。もう、精神病に良いとされることは全部やり尽くしたと認識しています。
生きていくのが非常に苦しく、毎日一瞬一瞬、死にたい気持ちと相対しています。
ことあるごとに、「過去のあのタイミングで、どうして生きるのをやめておかなかったのだろうか」と後悔してしまいます。
また、その気持ちとセットで、「今この瞬間に生きるのをやめておけば、後で後悔しないのではないか」と考えてしまいます。
とてもつらくて、その気持ちを抱えているこの現状が、みじめでしかたがありません。
「生きるのをやめたら、私は絶対に幸せになれるのに…」という確信が頭を離れないのです。
今この文章を書いているこの瞬間も、生きるのをやめてしまいたい(幸せになりたい)私と、生きるのをやめてはいけないという社会通念のようなものにとらわれている私とが、まるで綱引きをするような感じで揺らいでいます。
気持ちはいつも、やじろべえが揺れるように、風見鶏が台風の日にたびたび頭の向きを変えるように、めまぐるしく変化します。その安定しない気持ちも、苦しいのです。
上手く正しいニュアンスで伝えられる文章を書けているのか自信がありませんが、本当に生きるのが苦しいのです。苦痛で仕方がないのです。
生きているこの瞬間が地獄のように思います。涙が溢れて止められないのです。
とても苦しいのです。
はやく生きるのをやめて幸せになりたいといつも思います。
今、書いていて、本音では生きるのをやめて幸せになりたいのかなと気付きました。
私の勇気がないばかりに、生きるのを自分でやめることはまだできていません。
自分で言うのもなんですが、人生においてなすべき努力は全力を尽くしてきたという自負があります。これ以上は頑張れないところまで、何事にも向き合ってきました。
もう、疲れたのです。生きるのをやめて幸せになりたいです。
できれば、どなたか私に優しい言葉をかけてくださると嬉しいです。
こどもを殴らない親をもちえなかった私が1番欲しいのは、きっとそのような言葉だったのではないかと、今思い至りました。
長々と失礼しました。
自分なりに整合性を求めましたが、抑鬱状態の私の頭ではこれが限界のようです。
きっと私は生きることを自分ではやめられないだろうとは思います。
でも、どなたか気のむいた方がいらっしゃったら、心の底から信じられる親をもちえなかった私に、小さな親切なつもりでお声がけくださると嬉しいです。
そのお言葉を胸に抱いて、これからも生きるのをやめたい私と向き合っていけると思います。きっと私がこの世からいなくなる瞬間まで、優しくしてもらったことを思い出しながら生きていくと思います。
失礼します。
蛍子