ぼくは、「自分はすごい」なんて自惚れがあって……
だから、そんな“すごい自分”っていうのをここに残しておきたいんです。
この世界に“生きた自分”っていうものを。
もちろん、全然大したことないのはわかってる。
生きる努力をしないわたしに、生きる価値なんかない。
それでも。
生まれてしまったから生きるしかなかった、生きてしまったこの一瞬一瞬に……なにかしらの価値を見出したいし、見出してほしい。
そのために綴るんだ。
クソみたいなわたしの、くだらないこの時を。
つまらないこんな言葉で。おかしい言葉で。
みんなに知らせるんだ。
「死にたい」
ってさ。
でもね。
ずっと届いてなんかないんだよ。
どれだけ小瓶が岸に流れ着いても、ぼくの声は、心は、
ずっと届いてない。
もしかしたら死ぬまで届かないかもしれない。
感覚の話。
わたしの、心の奥の奥の方の話。
だからね。
どうでもいいんだよ。
期待がないわけじゃない。けど、今さら……
頑張っていないわたしに『期待の心』なんていうものが宿っていいはずがないんだよ。あきらめたぼくに、ちょっとくらいあってもいいかもしれないけどでも……けして、大きい感情は、生じさせるべきじゃない。
そのほうが楽なんだ。
だって感情があって、みんな苦しそうなんだもの。
ありがとう。
苦しそうにしてくれて。
おかげで、そうならないほうが楽だ。って逆に行けるから。助かってます。
まあ、苦しむ貴方たちのほうがしあわせになれそうで羨ましくもあるんだけどね。
前も書いたかもしんないけど「生きてていいなあ」と。
これも感覚の話。
わかんなくていいよ。
説明する気もない。
生きたくて生きてるわけじゃない貴方たちに「は?なにがいいって言うの?ふざけないで!!」なんて怒られて「(あぁ、やっぱいいなあ)」と心の中で思いたい。
生きててくれてありがとう。と思いたい。僕や君にとって不本意な言葉を一方的に送りつけて、私は己と貴方の生存を確認する。
いろんな人がいて、世界は退屈しないのです。
おしまい
生きる努力をしなくても生きていられる環境におられるのでしょうか。
幸福ととらえる人もいれば、不幸だととらえる人もいる。
有さんは、どちらですか?
私も、似たような環境にいます。
私は、幸福であるけれど、本音は不幸です。
努力しなくても生きていられるということは、変わりに努力してくれている人なり、面倒を見てくれている人がいるなり、誰かのお金があるなり、他者に生かさせて貰ってるわけだから、その人がいなくなった時、生存の変化に見舞われるから、落ち着きません。
いきなり自立を迫られるし。
だから、早くこの環境から脱出したいです。
生きたいわけではないので、その方が苦しくない。
私はそんなふうに思っています。
有さんも、なにもしなくても生きていられる環境を、苦しく感じたりしませんか?
楽してるっていうふうに、どうしてもジャッジされるから、そうじゃない。そうじゃないですって、見えない他者にずっと伝えなければ。みたいな。
働かなくても生きてられるなんて、いいわねー。って、私も思われてると思うから。有さんも同じかなぁ?とか思ったりして、
違ったらごめんなさい。