『ひと』と『こと』を分けたら、自分や誰かを傷つけにくくなるかもしれない。
人Aが嫌いなのではなくて、出来事Aが嫌いなのだと。
人と事を分けるのは受け売りなんだけれども、ぼくはこの考え方がわりと好きだ。
この考え方の使い時というのはあるだろうけど、持ってたら役立つ時があるかもしれない。
そんなわけでいろいろと考え方を持つのは良い? わからん。
岸に届かなかった小瓶があって(´;ω;`)切なくなったあと、見直して思考を巡らせてた。
それで「誰かを嫌な気持ちにさせる必要はなかったんだ」って思った。
冷静になればナイフをしまえるのに、衝動的にナイフを突き立ててしまう……わたしの性格。上手く付き合えるといいな。
で、
思考巡らせて話したいことひとつできたから話すね。
誰かと関わるって“こと”に嫌悪感がある。
自分と誰か。あるいは誰かと誰かが仲良さそうにしている“こと”に気持ち悪さや気色悪さを覚える。
いや、倖せを感じることもあるし嬉しく思うこともあるけどね。
ただなんか、遠くの、見慣れない景色に畏怖を感じると同時に素晴らしく感動するような……そんな感じ?
『違和感』の方が合うだろうか。
友達と仲良く一緒に遊んだり話したりをよくしていたのは10何年も前だから。
ひとりぼっちが長くて、(自分も含め)人と人が関わっているシーンが不思議というか。
ドラマとかだと作られたもの、作品だから違和感ないけど、
現実にもそれがあることが不思議……
って、わたしはやっぱり現実から逃避しすぎ?
人と関わるの「めんどくさっ」って思うのは、どう接していいかわからないという経験の無さからかなあ。
敵との戦闘避けたらレベルアップしなくて先に進めない可能性があるもんなあ。
でもはじまりの村で同じこと喋るNPCでもよくね?
主人公になるのをあきらめちゃいけない!なんて主人公みたいなセリフ、わたし言いたくないよ。
みんな勇者じゃ、なんかいろいろ過多じゃない?
この、自分に対する肯定、甘やかしがいけないのだろうか。
まあいいや。
今日も自殺せず生きられてるし。
おしまい