また、河に来ている。
コロナも
一時のピークをすぎ
行楽シーズンという
季節柄もあって
国内外の観光客が
随分増えたけれど
河原はそれでも
窮屈にならない。
河はところどころ
1メートル程の段差が
作られていて
水の落ちるザーッと
いう音が心地よい。
気温が高いからか
河の水の匂いが
土手に腰掛けている私の
鼻先まで立ち昇ってくる。
野鳥にパン屑をやっている
おじさんが対岸にいる。
本当はやってはいけないのに。
対岸の土手とその上空に
鷺とカラスと鳶が
入り乱れている。
流石にこの輪の中に
鳩や雀は
入っていけないらしい。
鳶は近くで見ると
胴も翼も肉厚で
何だか猫が飛んでいる
ように見える。
見た目の厳めしさに反して
ピヨと鳴く。
どれくらいそのまま
ぼんやりしていたか
わからない。
いつのまにか
目の前の河からも
対岸の鳥からも
意識が外れ
かといって心の中に
意識が向くでもなく
目はしっかり
あいていたけれど
何も見聞きせず
何も思考しない
無
の空白時間を
過ごしていたようだ。
ふと我に帰ると
私の顔の周りに
色の淡い小さな羽虫の
蚊柱ができていた。
すこし立ち眩みを
感じながら腰を上げる。
まだ少し名残惜しい。
悩んでいる時や
疲れている時
傷を負った野生動物が
山奥に湧く天然の温泉を
嗅ぎ当てて湯治に赴くように
私は自然とこの河に
来てしまう。
心の何かを捨てにくるのか
心に何かを浴びに来るのか
またはその両方。
河は私に
好意的な感情や意図を
抱いたり向けては来ないが
敵意や拒絶の意図や感情もまた
抱かないし向けてもこない。
それこそが今の私が
一番求めているもの。
相手から自分に対する
感情や意図を何も抱かれない
気楽さ、やすらかさ。
自分から相手に対しても
それらを抱かない
気楽さ、やすらかさ。
疲れたら河に会いに行って
河に入るでもなく
水に触るでもなく
ただそばに座って
眺めて帰ってくる。
私にはこの方法が
合っている気がする。