私はここでは書ききれない程「不幸な人間」です。
哲学的あるいは神学的な問いですが、こうした「生まれついて不幸な者」は何か「神の悪意」によってこの世に産まされるのだと思いますが、いかがお考えでしょう。
早く死にたいです、この世はたくさんですから。
ご返信お待ちしています。
名前のない小瓶
84606通目の宛名のないメール
小瓶主の返事あり
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お返事が届いています
皆様お返事を下さりどうもありがとうございました。
特に1通目にお返事を下さった方と2通目にお返事を下さった烏羽様の文章は拝読し色々と考えるところがありますので勉強とさせていただきます。
重ねてどうもありがとうございました。
神の悪意によってこの世に生まれたのなら早く死んで楽になることもできないだろう。心を無にして生きるしかない。
長話になるが、時間が許すのであれば、そして、もし気が向いた時があれば、読んで頂ければ幸いだ。
神と言うと、西洋感から来るキリストとかの、唯一の絶対神(God)、なんでも出来る全知全能、みたいなイメージがあると思う。
実は、これらのイメージは、元々日本に根付く「神様」感とは異なったものなんだそうな。
日本の神々は八百万。
様々な神々がいらっしゃり、それぞれ得意な事やそうでない事、言葉遣いが不遜ながら書かせて頂くと、出来る事や出来ない事があったりする。
(そもそも「神」という言葉が、大自然の擬人化だったり、「とんでもねえすげー半端ない畏れ多い方」みたいな、人間の偉業を称えた最上級の言葉だったりしたみたいだ。驕り高ぶるとか、権力問題とかで、生きてる人には使われなくなったようだが)
もちろん人間の都合にとっては、悪い事をする神様もいらっしゃる(祟り神とか、病の神とか)ので、神の悪意によって、生まれついて不幸な者が産まれているのかと問えばその可能性があると考える事は出来る。
ただ、捨てる神あらば、拾う神あり。…との言葉があるように、少なくとも「あらゆる局面の全てにおいて不幸な者」というのはいないのではないか、と思ったりする。
別の視点、神様だのを抜きに考えると、人それぞれの価値観というのか、「何をどの立場、視点から見て不幸と感じるか」という事はそれぞれ違い、かつ人生の中、次第に変化していくだろうなので、そういう意味でも全てにおいて不幸かどうかは…
俺には、人の人生も自分の人生も、これからの未来、一生涯不幸なのかどうか、判断できない。
もちろん、小瓶主さんには、そう考えても、それを凌ぐ程、大きな絶望、失望感、虚無感などがあるのかもしれない。
俺自身もそうなって、後遺症がない(多分、鬱病とか統合失調症的なものはまだある気はするが)という点で、軽いものなのかもしれないが、自殺未遂をした事がある。
(今は比較的平気)
だからそんな、保証できない、あるかどうか解らない未来に、希望を持てなんて事は、自分で確証を持って思う事が出来ない。
これは死ななかった、死ねなかった人間の言い訳なのかもしれないが、希望も抱けず、かと言って、抱く失望が現実に起こるかどうか、未来は解らないものだ。
小瓶主さんに対して、生きなければならない、などとは思わないが、生きている中で、少しでもその心の重みや苦しみが安らいで欲しいとは思うし、俺自身に対してもそう思っている。
また、話を変えるが(興味がなければ読み流してくれても構わんぞ)、人間というのは、似たような失敗をよくするが、決して同じ失敗などではなくてな、まず時間が違う。
時間が違うし、状況も違う。
それを何故か、「同じ失敗を繰り返している」と、度々判断してしまうものでもある。
それは何故かと考えると、恐らく、失敗した時の怖さ故、また失敗してしまうんじゃないかという不安故に、過去との共通点はどこかと、「目を凝らして、失敗を探しているような状態」になっているんじゃないかと思う。
だから、少し違う所のある失敗でも、同じ失敗として認識してしまう可能性があるのかもしれん。
だが、先に書いたように、時間が違えばまず違う。
時間が違うという事は、そもそもの状況が違うという事だ。
人はどうだ?自分はどうだ?
過去の時と、心情の中身に大差はないかもしれないが、回数も違う、時間による体調も、温度も、呼吸も、事細かに見ればまだまだ違う。
…読んでいると、何故、ここまで「違う」という言葉を連発しているのだろうか、…と思わなかっただろうか?
思っても思わなくてもなんでもいいが、「あの時と同じ」と思い、考える事で、俺の経験上、気が滅入る。
「あの時と同じ失敗を、また繰り返すのか…、自分は変わらないのか…」と。
(俺は後悔で立ち止まりやすい)
気が滅入るという事は、メンタル的にストレスがかかる。
…簡単にいうと、元気ではなくなるよな。
だから、もし「同じ失敗」だと考えてしまい、それによって気が滅入って、過去とは異なる、目の前の状況に対処するにも支障が出るようなら、「あの時とは違う」と考えて、「違い」を見つける。
「その違いは何か?」と集中し、少しでも考える事で、少なくとも態々、自身の気が滅入るような「あの時と同じだ…、出来ないんだ…」と考える時間を減らす事が出来る。
そしてその分の、元気と時間を、失敗した事のフォローや、その時起きている事への対処として、行動に繋げられる可能性を増やせる。
未来は解らない、結果も解らないが、態々不幸な方向へ進もうとする必要もないし、ある程度なのかもしれないとはいえ、自分の選択によって変化もしていくものだと思う。
(もし、人生に定まった運命とかがあるとしても、まず生きている中では、それがどんな運命なのか、何が定まっている事なのかなんて解らんべ。なんで、深刻に悩まなくても良いかもしれない)
…個人的なものなのかもしれないが、経験上、効果はある、と思う。
あるいは…、正直何がどうなって今の状況があるか説明できないが、何度も、上手くいかなくても繰り返してきたから、少しずつだとしても何かしらの経験が積み重なって、俺自身のやり方として確立してきているのかもしれない。
小瓶主さんの状況など知りようもなく、言いたくないのであれば聞く必要もないと考えたので、思い付いた事を書いてみた。
もしもではあるが、その点で悩みがあるのであれば、多少なりとも参考の一つになれば幸いだ。
読んでくれてありがとう。
不幸を感じ続けている当事者がそう考える気持ちはわかります。
不幸な運命というのは、確実にあると思います。生まれてきただけで虐待されて亡くなってしまった子や、通り魔に狙われて刺された人などがまさにそうです。何も悪いことをしていないのに。たまたまそこにいただけなのに。
他にも、「92年生まれ」という話もありますね。
1992年生まれはゆとり教育を受けさせられ、高校入学の時期は台風、修学旅行はインフルエンザで延期、卒業式後にすぐ地震が来て卒業旅行などのイベントがキャンセル続出、成人式は大雨大雪という、人生の節目節目でアンラッキーが続いていた世代です。
こんな風に、世の中は不公平だと感じることは多々あります。
「書ききれないほど不幸」という主さんもおそらく、自分の手に負えない、自分の努力だけでどうにもならないことに振り回されながら生きてこられたのだと推察します。
それを「神の悪意」ととらえるのが是が非かは、そう認識した後に当事者がどう生きるか…ということに尽きるのでしょう。
つまり「私は神様に嫌われているのだ」「天にいじめられている人間だ」と考えた先に、果たして何があるのか?ということです。
「神なんてクソくらえ、俺は絶対に成り上がってやる」という強いエネルギーが生まれるならば、神を悪とするのも良いと思います。
「自分は恵まれなかった」と諦めつつ、同じ立場の人の傷に寄り添ったり、次世代に自分の分まで夢を託して応援したり、そんな未来が生まれるならば、諦めたことにも意味があるでしょう。
逆に「どうせ不幸だから」と思うことで自分に出来ること(努力で変えられること)まで手放してしまうのなら、その思想に執着するのは不毛で、止めておいた方がいいと思います。ただでさえ苦しい状態で、新たな苦しみや不自由さを背負う必要はないからです。
(法的でなく精神論としては)思想自体に良し悪しや優劣はなくて、重要なのは、その思想を持つことによって自分がどれだけ幸せであるか、ということだと私は思います。
「神の悪意」と信じることで主さんが救われるのなら、それで良いと思います。
以下はまだお返事がない小瓶です。お返事をしてあげると小瓶主さんはとてもうれしいと思います。
あの人が好き。だけどこれ以上傷つけたくない。涙がとまらない。みんなが幸せになる方法ってなんだろうね。
つまんない。本当にバカみたい。自分なんて必要とされてない。とにかく死にたくてたまらない。
GW終了*\(^o^)/* 観光地など5類になって人が多くなってきました、1日ですが、彼様から仕事が無さそうな私と逢ってあげると言うのでお会いしました
最近情緒不安定で苦しい。同じ部署の仲良かった人が辞めちゃって寂しいのとか。仕事増えて残業多かったのとか。新しくピル始めたのとか
不安……一度失敗しちゃってるから、今も失敗してるんじゃないかって
相談したいじめとかじゃなくて私の人間性に問題あるんじゃないのとかアタシ可哀想みたいに言われるの納得行かない。
もっと素直になれたらいいなぁ。高校に入学した時は「高校生活楽しむぞ!そして次こそは親友を作るんだ……!」なんて思っていたけれど今の今まで話し相手もろくにできなかったよ
キズパワーパッドって貼り直せますか?
改めて考え直した。友達って順番で争うもんじゃないんだって。
寂しい。必要とされる人間になりたい。中学校まで3人グループにいたけど私は2人の話を聞いてることが多かった。今年高校生になっても周りの人に話しかけられなくて
あーなんかもう死んでしまいたい。生きる意味がわからない。毎日つらくてどうしようもないような不安におそわれて。死にたくないけど生きるのも嫌で。
悪いことが続いてる。立て続けに、いろんなことが起きすぎて、現実味がない、受け止めきれない。
「死にたい」「助けて」というのを裏に孕んだ、この、文字を紡ぎ続ける活動……続けてみてどうなるかをちょっと見てみたい……なんて。
親からとんぷくを貰いたい
読書を失う。ずっと読書が好きだった。偏っていようがなんだろうがマンガも含めて。でももう読書はムリかな。時間が取れないし、何より著者の考えを辿るのが辛い。