今は色々と大変なことがあって、何かを「大切」だと思う余裕がないだけなのだと思います。「大切」がわからないと悩むあなたは、決して冷たい人間なのでもなく、どこかおかしいのでもありません。だって悩んでいるのですから。
きっとあなたは真面目な方なのでしょう。自分の大切なものが他の人にとっても「大切」に見えなければならない、「大切」だと認めてもらわなくてはならないと思っているのではありませんか。「そんなものが大切だなんて、いるかちゃんはおかしいね」と言われるのが怖いのかもしれません。
しかし、本来「大切」というのは他人に認めてもらわなくてはならないものではありません。自分が大切だと思えば、それでいいのです。
「大切」を無理に作る必要もありません。人間、本当に必要になればどんなことでもできるようになるからです。今はただ、時期ではないだけでしょう。
こんなこと言ってしまってはいけないかもしれませんが、ただの国語の授業なのですから、嘘をついてごまかしたっていいと思います。“個性”を尊重する教育がトレンドになっていますが、「大切」がわからないということも、適当にみんなに合わせて生きていくということも、個性です。あなたが生きたいように生きればいい。
鼻につくような言い方しかできないのは、他人に嫌われるのが怖いからではないかと勝手に思いました。飾らない自分を受け入れてもらえるかわからないから、思ってもないことを言ってしまったり、自分が傷つかないように他人を傷つけてしまうのではないかと。
言葉で愛を伝えられないのなら、行動で示せばいいと思います。素直に「ありがとう」と言えないのならお辞儀をする、転んだ人がいるなら黙って手を差し伸べる。言葉だけが気持ちを伝える全てではありませんし、いくら言葉で取り繕っても、行動が伴わなければ偽りです。しかし、言葉がなくても行動があれば十分でしょう。
長くなりましたが、ただの国語の授業なのですから、適当に終わらせてしまえばいいです。「大切」は他人に言われて探すものではないし、「大切」がわからないと言うあなたも何もおかしくない。自分を相応に愛せるようになればきっと大切なものもできるでしょうから、焦らなくていいと思いますよ。ネットに書かれてることでも言って、適当に乗り切りましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました。まとまりのない文章で申し訳ございません。応援しています。
・・・小瓶の中の手紙を読む